菜の花や
2009年 03月 22日
兄弟!
偶然とは云え、何とも粋な連想。正に湯布院の土地をして為せる業でありましょう。スミコさんとツネ殿の郷土愛たるや麗しき限りです。それを承け愚生は
「何のその巌をも洞す桑の弓」
の一句を彷彿としました。即ち12月14日、積年の鬱憤を晴らさんとした間際、赤穂浪士の一人、子葉と号する大高源吾になる即吟。
悪事ですら千里を往くの此の浮世、この愛らしい欣墓の念が四海を越えるなんざ易き事。菜の花丈に想いが実を結ぶ…おっと下らぬ洒落を弄しました。呵呵。
然し、まぁ何て美しい原風景…。私は大正3年の『尋常小学 第六学年用』に載せられた、高野辰之作詞、岡野貞一作曲に成る名曲『朧月夜』を思わず口ずさみました。
一、
菜の花畠に、入日(いりひ)薄(うす)れ、
見わたす山の端(は)、霞(かすみ)ふかし。
春風(はるかぜ)そよふく、空を見れば、
夕月(ゆうづき)かかりて、にほひ淡し。
二、
里わの火影(ほかげ)も、森の色も、
田中の小路(こみち)をたどる人も、
蛙(かわず)のなくねも、かねの音も、
さながら霞(かす)める朧月夜(おぼろづきよ)。
全く、湯布院その儘の詩情です、が……。
改めて歌詞を通読するに、少々奇異に写る処があります。抑もの題名『朧月夜』は〝三春〟と云って春を通じて用いられる季語で「霞」も同断。然し、「夕月」は秋のそれなのです。一方、二番に至っての「鐘の音」は春にも秋にも用例があり曖昧模糊としています。斑山と号した国文学者、高野辰之らしからぬ誤謬と訝しくなり、書林を逍遙し電脳海を蹌踉としてみた処、どうもこの曲自体、偽作の可能性が否めないとか。然もありなん、と擦れ枯らしの詮索を止め、翻ってその楽譜を見るに、脚韻を踏みつつ、駢儷体を模した音数に辞藻を施し、それを弱拍で開始する3拍子を以て楽曲に纏めて居る処など、矢張り一寸としたものではありませんか。
今宵は菜の花の辛子味噌和えで一献し乍、四百里果ての故郷へ酒興を遊ばせようかな。
黄色の毛氈 小川に春を敷く 翠柳軒
偶然とは云え、何とも粋な連想。正に湯布院の土地をして為せる業でありましょう。スミコさんとツネ殿の郷土愛たるや麗しき限りです。それを承け愚生は
「何のその巌をも洞す桑の弓」
の一句を彷彿としました。即ち12月14日、積年の鬱憤を晴らさんとした間際、赤穂浪士の一人、子葉と号する大高源吾になる即吟。
悪事ですら千里を往くの此の浮世、この愛らしい欣墓の念が四海を越えるなんざ易き事。菜の花丈に想いが実を結ぶ…おっと下らぬ洒落を弄しました。呵呵。
然し、まぁ何て美しい原風景…。私は大正3年の『尋常小学 第六学年用』に載せられた、高野辰之作詞、岡野貞一作曲に成る名曲『朧月夜』を思わず口ずさみました。
一、
菜の花畠に、入日(いりひ)薄(うす)れ、
見わたす山の端(は)、霞(かすみ)ふかし。
春風(はるかぜ)そよふく、空を見れば、
夕月(ゆうづき)かかりて、にほひ淡し。
二、
里わの火影(ほかげ)も、森の色も、
田中の小路(こみち)をたどる人も、
蛙(かわず)のなくねも、かねの音も、
さながら霞(かす)める朧月夜(おぼろづきよ)。
全く、湯布院その儘の詩情です、が……。
改めて歌詞を通読するに、少々奇異に写る処があります。抑もの題名『朧月夜』は〝三春〟と云って春を通じて用いられる季語で「霞」も同断。然し、「夕月」は秋のそれなのです。一方、二番に至っての「鐘の音」は春にも秋にも用例があり曖昧模糊としています。斑山と号した国文学者、高野辰之らしからぬ誤謬と訝しくなり、書林を逍遙し電脳海を蹌踉としてみた処、どうもこの曲自体、偽作の可能性が否めないとか。然もありなん、と擦れ枯らしの詮索を止め、翻ってその楽譜を見るに、脚韻を踏みつつ、駢儷体を模した音数に辞藻を施し、それを弱拍で開始する3拍子を以て楽曲に纏めて居る処など、矢張り一寸としたものではありませんか。
今宵は菜の花の辛子味噌和えで一献し乍、四百里果ての故郷へ酒興を遊ばせようかな。
黄色の毛氈 小川に春を敷く 翠柳軒
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▲ by yufuin-brothers | 2009-03-22 21:52 | 音楽よもやま話