組曲『或る茶の間の風景』より ―道楽息子の誕生日―
2008年 10月 21日
兄弟!
お釈迦様は摩耶夫人のお腹の中で十年も過ごしたらしい。お釈迦様、お退屈では有りませんでしたかと聞いて見たいが、それよりも摩耶夫人に「お産にしちゃ一寸長いとは思わなかったのですか」と質問する方が先の様に思う。兎に角、息子がやっと出て呉れたのは良いけれど、産声を上げる代わりに「天上天下、唯我独尊」。
昭和50年10月21日未明、東都は大川の辺で賑やかにおぎゃあと顔を出した男の子は、七日目に諱を「勉」と附けられ、すくすくと育ち、或いは育ちすぎて、お釈迦様が菩提樹の下で悟りを開いたのと同じ年に成ったは良いが、人から諭されて許の為体。
然し、33年を無為に過ごして来た訳ではないらしく、最近では「お前の読んでる本は漢字ばっかりで絵がないじゃねえか。こんなの面白いかねえ」と父親がそっぽを向く様な書籍を紐解ける位には成れた。じゃぁ、私も菩提樹の下で、と考えたが、抑もそれが何処にあるのか、況やどんな姿をしているのかさえも知らない。母に尋ねたら、そんなもん、家には無いよ、とのお答え。大悟への道程は矢張り厳しい。
「もう直ぐ、もうすぐ」
昨夜、21日に日付が変わろうとしている最中、母親がそう繰り返している。何云ってるの、と聞くと
「お前はね、21日になって直ぐ生まれたんだよ。だから、もう直ぐ、もうすぐ」
三つ昔前のお産を思い出し、それを愛おしむかの様な口振りが我が母乍可愛らしい。どうせならもう少し居候してあげればよかったかな、とも思ったが、お釈迦様の如く出てくるなり変梃な事を云って陣痛を頭痛に変えて仕舞っては親不孝になり兼ない。その後、今に至る迄それをしっ放しなのだから、十月十日位で丁度よかった、と33年前を振り返る。
もうすぐ、もうすぐ……私の心の奥深くでその言葉が暫く鐘声の様に余韻嫋々と残っていた。
お釈迦様は摩耶夫人のお腹の中で十年も過ごしたらしい。お釈迦様、お退屈では有りませんでしたかと聞いて見たいが、それよりも摩耶夫人に「お産にしちゃ一寸長いとは思わなかったのですか」と質問する方が先の様に思う。兎に角、息子がやっと出て呉れたのは良いけれど、産声を上げる代わりに「天上天下、唯我独尊」。
昭和50年10月21日未明、東都は大川の辺で賑やかにおぎゃあと顔を出した男の子は、七日目に諱を「勉」と附けられ、すくすくと育ち、或いは育ちすぎて、お釈迦様が菩提樹の下で悟りを開いたのと同じ年に成ったは良いが、人から諭されて許の為体。
然し、33年を無為に過ごして来た訳ではないらしく、最近では「お前の読んでる本は漢字ばっかりで絵がないじゃねえか。こんなの面白いかねえ」と父親がそっぽを向く様な書籍を紐解ける位には成れた。じゃぁ、私も菩提樹の下で、と考えたが、抑もそれが何処にあるのか、況やどんな姿をしているのかさえも知らない。母に尋ねたら、そんなもん、家には無いよ、とのお答え。大悟への道程は矢張り厳しい。
「もう直ぐ、もうすぐ」
昨夜、21日に日付が変わろうとしている最中、母親がそう繰り返している。何云ってるの、と聞くと
「お前はね、21日になって直ぐ生まれたんだよ。だから、もう直ぐ、もうすぐ」
三つ昔前のお産を思い出し、それを愛おしむかの様な口振りが我が母乍可愛らしい。どうせならもう少し居候してあげればよかったかな、とも思ったが、お釈迦様の如く出てくるなり変梃な事を云って陣痛を頭痛に変えて仕舞っては親不孝になり兼ない。その後、今に至る迄それをしっ放しなのだから、十月十日位で丁度よかった、と33年前を振り返る。
もうすぐ、もうすぐ……私の心の奥深くでその言葉が暫く鐘声の様に余韻嫋々と残っていた。
by yufuin-brothers | 2008-10-21 23:59 | アンバサダー随感録