ブランとルパン―東都Tヒコ逍酔記(その壱)
2008年 01月 22日
兄弟!
遅れ馳せ乍、明けまして御芽出度御坐居ます。今年も、昨年以上の幸福が世界中
の兄弟姉妹並びに親類縁者の皆さまに音ずれる事を、半ば確信して願って居ります。
だって、そうなるんだもん。嗚呼、斯くなりつるらん皆様、今年もどうぞ万々宜しく御願
いたしますぞ(笑)。
スミコさんに御心配頂きましたが全くその通りで、お正月は何やかやと忙しく『共有』
を感けましたる段、何卒御容赦下され度。かといって随分稼いだのでしょう、とお尋ね
になられること莫れ。世の中、そう思惑通りに物事は進まないのですじゃ。まぁ、御愛
嬌、々々々(笑)。兔にも角にも、愚生は変らずお酒を美味しく頂いて居ります。この言
葉さえあれば、私の現在をお察し頂くのに充分でありましょう(笑)。
※ ※ ※
松が取れ、漸く身の回りが落ちついて来た先週土曜日、何と湯布院駅前の顔なる
『休み処一休』の若旦那、ゆふいん兄弟のTヒコが東都に音ずれました。一昨年から
ゆふいんと縁を通じ、なっちゃん、オーチャワ、MIMI、Tノブ、郁ちゃん、Yユキ君に継
ぐ上京7番槍の兄弟となる訳です。
「銀座9丁目は水の上、今宵は舟で過ごしましょう」と往年の歌手、神戸一郎は持ち
前の美声で朗らかに歌い上げたのは随分前の話だけど、この歌を知っていると銀座
は8丁目迄だ、という事が自ずと解る。だから9丁目は“水の上”即ち無いという事なの
だから。何でこんな古い歌を引用したか、というとTヒコが宿を取ったのが銀座8丁目。
唯、それ丈の話しなのだけれど(笑)。
「おお、久し振り」
「どうも、どうも」
「じゃあ行こうか」
ゆふいん兄弟が東京に来て、顔を見せて呉れるのはとても嬉しい。でも、何だか少々
照れくさい気もするのが正直な処ですな。その様な雰囲気を緩和する為にも、折角来
てくれた兄弟を歓待するのにも矢張りお酒が欲しい。是人情に有らず哉。
先日、お前東京で何処か行きたい処はあるか、とTヒコに尋ねると
「そやな、浅草の神谷バアと、銀座のルパンかな」
との事だったので、先ずは銀座から地下鉄で浅草へ。取り敢えず、観音様に詣でようと
仲見世に出た。今日は土曜日、何時もは閑散としているこの通も随分と殷賑であり、ご
った返して人人人の波がうねっている。
「おいアンバサダー。いかんわ」
「どうしたのだ」
「俺、人酔いしそうや……」
生粋の湯布院っ子のこと、左もありなんと参詣は後回しにして逍遥していると、専ら懐か
しの芸能人ブロマイドで有名なマルベル堂に差しかかった。
「面白そうな店やな。一寸寄ってもええか」
「ほほう。左様か」
間口が一間あるか無いかという狭い店内には、それこそ神戸一郎、否、それよりももっ
と時代の付いたスタア連の顔が幾らでもある。Tヒコがこの様な趣味があるとは知らなか
ったので、面白がってその後姿を見ていると
「ジュリーや、かっこえーなぁ。おお、おおお、梶芽衣子やないか」
Tヒコは単にモノクロのブロマイドから誰でも享けがちな、普遍的ノスタルジーに躍らされ
ているのではなく、本当の数寄者だという事に心から驚いた。然り乍、私もその御一統で
あるので、栗塚旭や、長谷川一夫に見入るっていると、Tヒコは藤岡弘を“兄貴”と呼び、
高倉健のヤクザ姿に嘆息している。余人からすれば少しく危険な、我等からすれば極当
たり前な、詰まる処“オタクな時間”をTヒコと共有出来たのを、不思議と不思議ではなく
感じたのは、これ又不思議でないのが不思議でならなかった。多分、浅草という街はそ
う云う所なのかもしれない。
その後、七味唐辛子で名高い「やげん掘」を覗きつつ、雷門まで取って返した。
「さて、一杯遣るか」
「おう、じゃあ神谷バアに連れてって呉れ」
世界中の兄弟姉妹、並びに親類縁者の皆さん。浅草名物「神谷バア」をご存知でしょう
か。折角ですから、愚生の十八番なる薀蓄をご披露な仕らん。
(画像はWikipedia内「神谷バー」の頁より転用)
当店は明治13年に「みかはや銘酒店」という屋号で暖簾を上げ、翌年には輸入葡萄酒
を販売(今でも販売しているもう一つの名物「ハチ葡萄酒」の原型)、更に明治15年には
速成ブランデイ、即ち現在でも名高き「デンキブラン」を製造販売した、大衆洋風酒場の
草分けなのです。斯く云う「デンキブラン」とは何者ぞや、と申せば、ブランデイにジンやワ
インキュラソーを配合し、ほのかにニガヨモギ、即ちベルモットの香りと味がする神谷バー
秘伝のコクテールの事なのです。その命名の由来は諸説あるので割愛しますが、兎に
角、この飲み物が明治の昔の最新トレンドであったことを物語っている事は充分に察しが
付くでしょう。能書きはこの位にして、酒精分30パアセントで、お値段が何と一杯260円
という、浅草観音よりご利益がありそうなお酒なのです(笑)。Tヒコはそれを目当てと私に
茲へ案内を請うた次第。
有無も言わさず卓に運ばれて来た、小さなグラスに入ったデンキブランを各々手にし
「それじゃTヒコ、よく来た」
「どうも」
未だ御天道様は一寸高いけれど、四百里を遥遥越えて来た兄弟を歓待するに何の憚り
やあらん。無二念なく久々に共にする盃を高らかに鳴らした。肴はと見遣れば、七面鳥
のたたきにミックスピザ、後は失念。湯布院の兄弟と、それも東都は浅草で闘わす杯が
進まぬ訳がない。大体、この店内の空気自体が既に酔っている。ブラン、ブランとお代わ
りを重ねている内に、二人の会話もぶらんこが如く行ったり来たり。四方山の話しが尽き
る事なく、酒精分で柔らかくなった唇が軽やかに言葉を刻む。ゆふいん兄弟のこと、自ら
の仕事のこと、更に人生のこと、恋愛のこと……。
「おお、そうだ。今宵は賓客が見えるのだよ」
「誰っちゃ」
「お前も存知よりの、ミエコさんだよ」
「嗚呼、知っちょる、知っちょる」
「ご無理を申し上げてお呼びしたのだ。月島の若旦那にもお声を掛けたが、お忙しい様
でね」
「そうか、それは残念だ。処でミエコさんは何時お着きなんか」
「もうそろそろなんだ。だから一度ご納杯にしよう」
「ほいきた」
暫くして、店を出た酔漢二人が目の当たりにしたのは、見るも艶やかな海老茶の着物を
粋に纏ったミエコさんだったのでした。
(その弐へつづく)
遅れ馳せ乍、明けまして御芽出度御坐居ます。今年も、昨年以上の幸福が世界中
の兄弟姉妹並びに親類縁者の皆さまに音ずれる事を、半ば確信して願って居ります。
だって、そうなるんだもん。嗚呼、斯くなりつるらん皆様、今年もどうぞ万々宜しく御願
いたしますぞ(笑)。
スミコさんに御心配頂きましたが全くその通りで、お正月は何やかやと忙しく『共有』
を感けましたる段、何卒御容赦下され度。かといって随分稼いだのでしょう、とお尋ね
になられること莫れ。世の中、そう思惑通りに物事は進まないのですじゃ。まぁ、御愛
嬌、々々々(笑)。兔にも角にも、愚生は変らずお酒を美味しく頂いて居ります。この言
葉さえあれば、私の現在をお察し頂くのに充分でありましょう(笑)。
※ ※ ※
松が取れ、漸く身の回りが落ちついて来た先週土曜日、何と湯布院駅前の顔なる
『休み処一休』の若旦那、ゆふいん兄弟のTヒコが東都に音ずれました。一昨年から
ゆふいんと縁を通じ、なっちゃん、オーチャワ、MIMI、Tノブ、郁ちゃん、Yユキ君に継
ぐ上京7番槍の兄弟となる訳です。
「銀座9丁目は水の上、今宵は舟で過ごしましょう」と往年の歌手、神戸一郎は持ち
前の美声で朗らかに歌い上げたのは随分前の話だけど、この歌を知っていると銀座
は8丁目迄だ、という事が自ずと解る。だから9丁目は“水の上”即ち無いという事なの
だから。何でこんな古い歌を引用したか、というとTヒコが宿を取ったのが銀座8丁目。
唯、それ丈の話しなのだけれど(笑)。
「おお、久し振り」
「どうも、どうも」
「じゃあ行こうか」
ゆふいん兄弟が東京に来て、顔を見せて呉れるのはとても嬉しい。でも、何だか少々
照れくさい気もするのが正直な処ですな。その様な雰囲気を緩和する為にも、折角来
てくれた兄弟を歓待するのにも矢張りお酒が欲しい。是人情に有らず哉。
先日、お前東京で何処か行きたい処はあるか、とTヒコに尋ねると
「そやな、浅草の神谷バアと、銀座のルパンかな」
との事だったので、先ずは銀座から地下鉄で浅草へ。取り敢えず、観音様に詣でようと
仲見世に出た。今日は土曜日、何時もは閑散としているこの通も随分と殷賑であり、ご
った返して人人人の波がうねっている。
「おいアンバサダー。いかんわ」
「どうしたのだ」
「俺、人酔いしそうや……」
生粋の湯布院っ子のこと、左もありなんと参詣は後回しにして逍遥していると、専ら懐か
しの芸能人ブロマイドで有名なマルベル堂に差しかかった。
「面白そうな店やな。一寸寄ってもええか」
「ほほう。左様か」
間口が一間あるか無いかという狭い店内には、それこそ神戸一郎、否、それよりももっ
と時代の付いたスタア連の顔が幾らでもある。Tヒコがこの様な趣味があるとは知らなか
ったので、面白がってその後姿を見ていると
「ジュリーや、かっこえーなぁ。おお、おおお、梶芽衣子やないか」
Tヒコは単にモノクロのブロマイドから誰でも享けがちな、普遍的ノスタルジーに躍らされ
ているのではなく、本当の数寄者だという事に心から驚いた。然り乍、私もその御一統で
あるので、栗塚旭や、長谷川一夫に見入るっていると、Tヒコは藤岡弘を“兄貴”と呼び、
高倉健のヤクザ姿に嘆息している。余人からすれば少しく危険な、我等からすれば極当
たり前な、詰まる処“オタクな時間”をTヒコと共有出来たのを、不思議と不思議ではなく
感じたのは、これ又不思議でないのが不思議でならなかった。多分、浅草という街はそ
う云う所なのかもしれない。
その後、七味唐辛子で名高い「やげん掘」を覗きつつ、雷門まで取って返した。
「さて、一杯遣るか」
「おう、じゃあ神谷バアに連れてって呉れ」
世界中の兄弟姉妹、並びに親類縁者の皆さん。浅草名物「神谷バア」をご存知でしょう
か。折角ですから、愚生の十八番なる薀蓄をご披露な仕らん。
(画像はWikipedia内「神谷バー」の頁より転用)
当店は明治13年に「みかはや銘酒店」という屋号で暖簾を上げ、翌年には輸入葡萄酒
を販売(今でも販売しているもう一つの名物「ハチ葡萄酒」の原型)、更に明治15年には
速成ブランデイ、即ち現在でも名高き「デンキブラン」を製造販売した、大衆洋風酒場の
草分けなのです。斯く云う「デンキブラン」とは何者ぞや、と申せば、ブランデイにジンやワ
インキュラソーを配合し、ほのかにニガヨモギ、即ちベルモットの香りと味がする神谷バー
秘伝のコクテールの事なのです。その命名の由来は諸説あるので割愛しますが、兎に
角、この飲み物が明治の昔の最新トレンドであったことを物語っている事は充分に察しが
付くでしょう。能書きはこの位にして、酒精分30パアセントで、お値段が何と一杯260円
という、浅草観音よりご利益がありそうなお酒なのです(笑)。Tヒコはそれを目当てと私に
茲へ案内を請うた次第。
有無も言わさず卓に運ばれて来た、小さなグラスに入ったデンキブランを各々手にし
「それじゃTヒコ、よく来た」
「どうも」
未だ御天道様は一寸高いけれど、四百里を遥遥越えて来た兄弟を歓待するに何の憚り
やあらん。無二念なく久々に共にする盃を高らかに鳴らした。肴はと見遣れば、七面鳥
のたたきにミックスピザ、後は失念。湯布院の兄弟と、それも東都は浅草で闘わす杯が
進まぬ訳がない。大体、この店内の空気自体が既に酔っている。ブラン、ブランとお代わ
りを重ねている内に、二人の会話もぶらんこが如く行ったり来たり。四方山の話しが尽き
る事なく、酒精分で柔らかくなった唇が軽やかに言葉を刻む。ゆふいん兄弟のこと、自ら
の仕事のこと、更に人生のこと、恋愛のこと……。
「おお、そうだ。今宵は賓客が見えるのだよ」
「誰っちゃ」
「お前も存知よりの、ミエコさんだよ」
「嗚呼、知っちょる、知っちょる」
「ご無理を申し上げてお呼びしたのだ。月島の若旦那にもお声を掛けたが、お忙しい様
でね」
「そうか、それは残念だ。処でミエコさんは何時お着きなんか」
「もうそろそろなんだ。だから一度ご納杯にしよう」
「ほいきた」
暫くして、店を出た酔漢二人が目の当たりにしたのは、見るも艶やかな海老茶の着物を
粋に纏ったミエコさんだったのでした。
(その弐へつづく)
by yufuin-brothers | 2008-01-22 01:05 | 東都探訪