インド=スリランカ交響楽団演奏会
2007年 10月 07日
兄弟!
木曜の夜、新宿は初台のコンサートホールで催された、インド=スリランカ交響楽団演奏
会に行ってきた。これは2002年から毎年開かれている文化庁芸術祭が主催する「アジア
・オーケストラ・ウィーク」の一環だ。今までにアジア各国から20を超えるオーケストラが招
聘されているが、今年は韓国のKBS交響楽団、中国の昆明交響楽団、そして当夜のインド
=スリランカ響が参加した。
「貴君、こんな演奏会があるんだが」と、学生オ―ケストラ時代の一の後輩、寿陵君を誘っ
た。
「……何だか凄そうですね」
「行こうよ」
「行きますか」
彼と私は多少の差異があるものの、興味が湧く源泉がお互い近いらしいので、何時もこうし
て呼応してくれる。
さて、オーケストラの面々が舞台に着座し、チューニングが始まった。先ず、オーボエがそ
の基音となるA、即ち『ラ』を奏する。紛い成りにもオーケストラ経験のある先輩後輩であるか
らこれに敏感になるのは人情というもの。私は我慢出来なくなり、隣の寿陵君に小声で話し
掛けた。
「貴君、如何しよう」
「……凄いですね、もう少しでフラット記号が付きそうなAです……」
「大丈夫かな」
「大丈夫じゃないと思います」
要は、下手なのである。
弦楽器が御世辞にもならないチューニングで満足してしまった。さて次は管楽器。何と驚
いた事にその基音がAでなくB、詰り『シ』なのである。プロのオーケストラでは考えられない
椿事である。
「おい、貴君」
「はぁ。遣ってくれますね」
寿陵君は管楽器奏者なので、この衝撃は弦楽器の私以上のものだろうことは彼の表情か
ら察するに余りある。
一曲目はブラームス作曲の『大学祝典序曲』である。
冒頭の弦合奏から丈でも技術的な怪しさが充分に伝わって来た。挙句の果てには主題を
提示するファゴットが一小節早く入りそうになる。こんな解りやすい間違いは、アマチュア・
オーケストラでも最近はしなくなった。然し……。
曲想が盛り上がって来ると、そんな頼りないオーケストラが一変し、今までに聞いたことが
無い様な精気を放ち始めるではないか。どうしたんだろう、何が起こったのだろう、と呆然と
したのは今までの経緯からして当然である。それからというもの私はこの音楽に夢中になっ
た。そして何時の間にか技術が、音程がなんてどうでも良くなった。そんな聴き手の反応を
知ってか知らずか、オーケストラは指揮者の矢崎氏に駆りたてられ、信じられない様な世界
を現出させる。そこには純粋無垢、在京のオーケストラからは聴く可くない、只管に誠心誠
意、一所懸命な音楽が鳴り響き渡る。そんな渾身の演奏が終結音に至った。
「貴君、これでいいよね」
「ええ。これでいいんです、これで」
二曲目はスリランカを代表する作曲家H・マカランダ氏の作曲、そしてピアノ。又、民族楽
器であるゲタベラヤという太鼓を地元の奏者であるR・ヴィディヤパシィ他による協奏曲『ス
ワラサンガ・ヴァンナマ』である。この曲は、作曲者が4年間掛けて採取したスリランカ民謡
を題材に書かれたものなのだと云う。オーケストラとしても、ブラームス以上に親近感のあ
るこの曲で白熱しない道理はない。私には聴覚を通り越し、五感を以って訴えかる音楽に
依って創りなす演奏に、唯唯圧倒された。
休憩でロビーに出た我等は、冷め遣らぬ興奮をそのまま語り合った。
後半はブリテンの『シンプル・シンフォニー』で始まった。この曲は弦楽合奏である。矢張
り、アンサンブルの拙なさは云うまでもないが、その中で、3楽章の「感傷的なサラバンド」
は私が聴いた中でも1、2位を争う名演である。下から突き上げてくる様な低音が、要所に
なると無類の説得力を発揮し、その上に纏綿とした旋律が雄弁に語り掛ける。
さて、メインはチャイコフスキの幻想序曲『ロメオとジュリエット』である。曲が進むにつれ、
私も寿陵君も感涙を催しているのがお互いに顔を合わせずとも伝ってきた。最終和音が消
えると同時に、二人はブラボーの大音声を憚らなかった。
アンコールはハチャトリアン作曲、バレエ音楽『ガイ―ヌ』から「薔薇の乙女達の踊り」で
ある。指揮者もオーケストラも、音楽が齎す幸福に満ち満ちてているのが犇犇と伝播して来
る。この光景を美しいと呼ばずに何としようか。
全ての演目が終わり、オーケストラが退場し掛けても聴衆の拍手は鳴り止まない。その
賞賛の中で、奏者が満面の笑みを浮かべ乍、お互いの健闘を称え握手をし合っている姿
に、私達が忘れがちな音楽の本義を見た気がして一層激しく拍手を贈った。
音楽によって齎された至福は、その後の一盞の味をも際立たせてくれる。美味い酒を遣っ
たり取ったりし乍、今夜の感取を交換し合えるのも、その徳である。微醺の寿陵君がいみじ
くも
「今日の演奏会で僕は、魂の叫び、表現者としてのの原点、そしてローカルの底力という
3点を痛感しました。インド=スリランカ交響楽団は現代の文化遺産です」
と語った。
「貴君、その辞、蓋し名言と心得る。今一度、インド=スリランカ交響楽団に乾杯しよう」
欧州、米州、無論本朝のオーケストラよ、この音楽を聴き覚悟せられたし、と私は訴えた
い。
木曜の夜、新宿は初台のコンサートホールで催された、インド=スリランカ交響楽団演奏
会に行ってきた。これは2002年から毎年開かれている文化庁芸術祭が主催する「アジア
・オーケストラ・ウィーク」の一環だ。今までにアジア各国から20を超えるオーケストラが招
聘されているが、今年は韓国のKBS交響楽団、中国の昆明交響楽団、そして当夜のインド
=スリランカ響が参加した。
「貴君、こんな演奏会があるんだが」と、学生オ―ケストラ時代の一の後輩、寿陵君を誘っ
た。
「……何だか凄そうですね」
「行こうよ」
「行きますか」
彼と私は多少の差異があるものの、興味が湧く源泉がお互い近いらしいので、何時もこうし
て呼応してくれる。
さて、オーケストラの面々が舞台に着座し、チューニングが始まった。先ず、オーボエがそ
の基音となるA、即ち『ラ』を奏する。紛い成りにもオーケストラ経験のある先輩後輩であるか
らこれに敏感になるのは人情というもの。私は我慢出来なくなり、隣の寿陵君に小声で話し
掛けた。
「貴君、如何しよう」
「……凄いですね、もう少しでフラット記号が付きそうなAです……」
「大丈夫かな」
「大丈夫じゃないと思います」
要は、下手なのである。
弦楽器が御世辞にもならないチューニングで満足してしまった。さて次は管楽器。何と驚
いた事にその基音がAでなくB、詰り『シ』なのである。プロのオーケストラでは考えられない
椿事である。
「おい、貴君」
「はぁ。遣ってくれますね」
寿陵君は管楽器奏者なので、この衝撃は弦楽器の私以上のものだろうことは彼の表情か
ら察するに余りある。
一曲目はブラームス作曲の『大学祝典序曲』である。
冒頭の弦合奏から丈でも技術的な怪しさが充分に伝わって来た。挙句の果てには主題を
提示するファゴットが一小節早く入りそうになる。こんな解りやすい間違いは、アマチュア・
オーケストラでも最近はしなくなった。然し……。
曲想が盛り上がって来ると、そんな頼りないオーケストラが一変し、今までに聞いたことが
無い様な精気を放ち始めるではないか。どうしたんだろう、何が起こったのだろう、と呆然と
したのは今までの経緯からして当然である。それからというもの私はこの音楽に夢中になっ
た。そして何時の間にか技術が、音程がなんてどうでも良くなった。そんな聴き手の反応を
知ってか知らずか、オーケストラは指揮者の矢崎氏に駆りたてられ、信じられない様な世界
を現出させる。そこには純粋無垢、在京のオーケストラからは聴く可くない、只管に誠心誠
意、一所懸命な音楽が鳴り響き渡る。そんな渾身の演奏が終結音に至った。
「貴君、これでいいよね」
「ええ。これでいいんです、これで」
二曲目はスリランカを代表する作曲家H・マカランダ氏の作曲、そしてピアノ。又、民族楽
器であるゲタベラヤという太鼓を地元の奏者であるR・ヴィディヤパシィ他による協奏曲『ス
ワラサンガ・ヴァンナマ』である。この曲は、作曲者が4年間掛けて採取したスリランカ民謡
を題材に書かれたものなのだと云う。オーケストラとしても、ブラームス以上に親近感のあ
るこの曲で白熱しない道理はない。私には聴覚を通り越し、五感を以って訴えかる音楽に
依って創りなす演奏に、唯唯圧倒された。
休憩でロビーに出た我等は、冷め遣らぬ興奮をそのまま語り合った。
後半はブリテンの『シンプル・シンフォニー』で始まった。この曲は弦楽合奏である。矢張
り、アンサンブルの拙なさは云うまでもないが、その中で、3楽章の「感傷的なサラバンド」
は私が聴いた中でも1、2位を争う名演である。下から突き上げてくる様な低音が、要所に
なると無類の説得力を発揮し、その上に纏綿とした旋律が雄弁に語り掛ける。
さて、メインはチャイコフスキの幻想序曲『ロメオとジュリエット』である。曲が進むにつれ、
私も寿陵君も感涙を催しているのがお互いに顔を合わせずとも伝ってきた。最終和音が消
えると同時に、二人はブラボーの大音声を憚らなかった。
アンコールはハチャトリアン作曲、バレエ音楽『ガイ―ヌ』から「薔薇の乙女達の踊り」で
ある。指揮者もオーケストラも、音楽が齎す幸福に満ち満ちてているのが犇犇と伝播して来
る。この光景を美しいと呼ばずに何としようか。
全ての演目が終わり、オーケストラが退場し掛けても聴衆の拍手は鳴り止まない。その
賞賛の中で、奏者が満面の笑みを浮かべ乍、お互いの健闘を称え握手をし合っている姿
に、私達が忘れがちな音楽の本義を見た気がして一層激しく拍手を贈った。
音楽によって齎された至福は、その後の一盞の味をも際立たせてくれる。美味い酒を遣っ
たり取ったりし乍、今夜の感取を交換し合えるのも、その徳である。微醺の寿陵君がいみじ
くも
「今日の演奏会で僕は、魂の叫び、表現者としてのの原点、そしてローカルの底力という
3点を痛感しました。インド=スリランカ交響楽団は現代の文化遺産です」
と語った。
「貴君、その辞、蓋し名言と心得る。今一度、インド=スリランカ交響楽団に乾杯しよう」
欧州、米州、無論本朝のオーケストラよ、この音楽を聴き覚悟せられたし、と私は訴えた
い。
by yufuin-brothers | 2007-10-07 02:59 | 演奏会ア・ラ・カルト