二十年目のオープンハウス
2007年 04月 02日
兄弟!
思い起こさば十数年前、クラシック音楽に目覚めてしまい(笑)、始めて演奏会
場の門を潜ったのが、サントリー・ホールでした。その時の演目は、山田一雄指
揮、新星日本交響楽団によるベートーベンの『第九』だったな。大興奮のコンサ
ート後、公衆電話(だって、まだ携帯なんかなかったもん。笑)から
「指揮者のおじいさんが指揮台の上で暴れてたけど大丈夫かな」
「そんな事より、お前、早く帰ってきなさい」
我が親はこんなものです(笑)。その時に山田御大から貰ったサインを大切に持
ってたりします。
そんなこんなで爾来幾星霜。名演、駄演、珍演を私達に提供してくれたサントリ
ー・ホールも今年で二十歳。成人式代わりかどうかは解らねど、本日より九月迄
、改修工事に入るとか。その最後の日、即ち四月一日日曜日に催された同ホール
の『オープン・ハウス』(オープン・ハウスとは一日無料でホールを開放し、その中
で演奏会や、ホール見学などを展開する、言わばサントリー・ホールの“試食会”
みたいなもの)がありました。そこへTAN職員&TANサポーターの諸氏と勉強に
行ったお話をしようか。
「こんちにわ、いらっしゃいませ。私がバッハです」
と、本日に限り天国から派遣(笑)された『音楽の父』がホール玄関でお客さんに愛
想を振りまいている。せがんで“派遣バッパ”と記念撮影をを臨む親子が後を絶た
ない。
ホール玄関の光景。今日だけはあのサントリー・ホールに誰でも入れる、それも
“タダ”で。という好条件に、押すな押すなの大入り。それにここアーク・ヒルズ内
は『桜まつり』の真っ最中。ふらっと来た人、このイベントを狙ってきた人、単に暇な
人と今日の桜が如き百花繚乱の客層。でも、『サントリー・ホール』というネーム・
バリューの底力があってこそだろう。
スタンウェーのピアノが鎮座ましましている小ホールでは、サントリー・ホールの
誕生ドキュメント映画上映や、音楽を題材としたピアノ生演奏付きクイズ大会な
ぞが展開されています(『クイズ・ドレミファポン』なーんて題名だったんじゃなか
ったかな。前に演っていたTVの麻雀番組『割れ目でポン』と混同して解らなくな
ってしまった。笑)。
さて、大ホールでは『慶応大学ワグネル・ソサイエティー管弦楽団』の公開ステー
ジリハーサルと本番、また、オルガニスト浅井美紀さんの、オルガン・コンサート
を演っています(この浅井さん、今考えるとアンバサタとはちょっとした知り合い)。
画像はワグネルの演奏風景。演奏曲目はJ・シュトラウス兄の喜歌劇『こうもり』
序曲、P・I・チャイコフスキの『弦楽のためのセレナーデ』からワルツ、R・ワーグ
ナーの楽劇『ニュルンベルグの名歌手』から第一幕への前奏曲。
「巧いね、この学生オケは」
「だって、慶応だぜ、アンバサタ」
「俺達だって“帝京”だ。KeiouとTeikyou。あんまり変らねえよ」
「馬鹿野郎、この連中と俺達とじゃ出自も親の収入も違う。それにお頭だって」
「……その話しは止しましょうや。洒落にならねえ」
以上、帝京大学出身の川熊先輩と、後輩たるアンバサタの会話(笑)。
プログラムにある曲を演奏し終えると、希望者を募り『指揮者体験』のコーナー
へ。曲は彼の『のだめ』でブレーク中のベートーベン第七交響曲第一楽章。
希望者は手を上げて、というアナウンスに川熊先輩が
「おい、アンバサタ。振ってこいよ」
「いや、これも洒落にならねえ。俺が振ったら、ここの常任指揮者のお鉢が俺に廻
ってきちまう。俺にも今の生活があるからな」
「馬鹿か、お前は」
どこまでもお目出たい帝京大学出身者でした(笑)。
一休み(というのは聞こえが良いけど、実はアルコール摂取タイムでした。笑)の後
、偶然発見したTANのM口ディレクターと合流し、『ホール・ツアー』へ参加しました
。その案内役がこの方。どうも見たことある人だな、と思っていたら、道理でその正
体はこのホールの案内係のお兄ちゃん。今日もお世話になります、と心の中で手
を合わせ乍、彼の薀蓄に耳を傾ける。
「このホールって何席あるか知っていますか。実は二千六席あります。そしてこの
ホールの音響設計は、彼の世界的指揮者カラヤンに助言を求め……」
と、止めど無くサントリー・ホールの特色を独特の歌い調子で、時折どう仕様も無い
洒落を交え乍(笑)、説明してくれる。
「はい、このホール天上に燦然と輝くシャンデリアですが、どれ位のクリスタル・ガラ
スが嵌め込まれているか、皆さん解りますか。そう、正解は六千個です。そしてこの
形はアルコールの分子構造をモチーフにしています。私にはよく解りませんが」
解らねえなら言うなよ、と突っ込みたくなるが、面白いから許そう(笑)。ツアー参加者
も彼の口調に乗せられて、サントリー・ホールの“見方”を習得していく。
「さて、大ホールにやってきました。天上をから振下がっているシャンデリアですが、
何を表わしているでしょうか。お、鋭いですね、そう、これはシャンパンを表わしてい
ます。またその間にある板状のものは反響板といって、音が上に逃げるのを防ぐ役
割があります」
ほう、へえ、という感嘆の声が参加者から漏れる。大盛況の内にツアは終了した。
流石“天下の”サントリー・ホールである。幾ら金を払っていないお客だからと云って
無碍に扱わない。そのサービス精神に大家の貫禄みたいなものを感じたのは小生だ
けでは無い筈。
では、帰りましょうか、とTAN講中が衆議一決した時、ふとホール玄関の敷石が目に
入った。思えば、始めてデートしたのもサントリー・ホールだったな、それに始めて
音楽の偉大さに気付いたのもここだったな……。幾十万、否、幾百万という音楽ファン
の一喜一憂と共に摩り減って来たこの敷石に
「二十年間有り難う。綺麗になったら又会おうね」
と、感慨深く暫く見つめていたアンバサタでありました。
思い起こさば十数年前、クラシック音楽に目覚めてしまい(笑)、始めて演奏会
場の門を潜ったのが、サントリー・ホールでした。その時の演目は、山田一雄指
揮、新星日本交響楽団によるベートーベンの『第九』だったな。大興奮のコンサ
ート後、公衆電話(だって、まだ携帯なんかなかったもん。笑)から
「指揮者のおじいさんが指揮台の上で暴れてたけど大丈夫かな」
「そんな事より、お前、早く帰ってきなさい」
我が親はこんなものです(笑)。その時に山田御大から貰ったサインを大切に持
ってたりします。
そんなこんなで爾来幾星霜。名演、駄演、珍演を私達に提供してくれたサントリ
ー・ホールも今年で二十歳。成人式代わりかどうかは解らねど、本日より九月迄
、改修工事に入るとか。その最後の日、即ち四月一日日曜日に催された同ホール
の『オープン・ハウス』(オープン・ハウスとは一日無料でホールを開放し、その中
で演奏会や、ホール見学などを展開する、言わばサントリー・ホールの“試食会”
みたいなもの)がありました。そこへTAN職員&TANサポーターの諸氏と勉強に
行ったお話をしようか。
「こんちにわ、いらっしゃいませ。私がバッハです」
と、本日に限り天国から派遣(笑)された『音楽の父』がホール玄関でお客さんに愛
想を振りまいている。せがんで“派遣バッパ”と記念撮影をを臨む親子が後を絶た
ない。
ホール玄関の光景。今日だけはあのサントリー・ホールに誰でも入れる、それも
“タダ”で。という好条件に、押すな押すなの大入り。それにここアーク・ヒルズ内
は『桜まつり』の真っ最中。ふらっと来た人、このイベントを狙ってきた人、単に暇な
人と今日の桜が如き百花繚乱の客層。でも、『サントリー・ホール』というネーム・
バリューの底力があってこそだろう。
スタンウェーのピアノが鎮座ましましている小ホールでは、サントリー・ホールの
誕生ドキュメント映画上映や、音楽を題材としたピアノ生演奏付きクイズ大会な
ぞが展開されています(『クイズ・ドレミファポン』なーんて題名だったんじゃなか
ったかな。前に演っていたTVの麻雀番組『割れ目でポン』と混同して解らなくな
ってしまった。笑)。
さて、大ホールでは『慶応大学ワグネル・ソサイエティー管弦楽団』の公開ステー
ジリハーサルと本番、また、オルガニスト浅井美紀さんの、オルガン・コンサート
を演っています(この浅井さん、今考えるとアンバサタとはちょっとした知り合い)。
画像はワグネルの演奏風景。演奏曲目はJ・シュトラウス兄の喜歌劇『こうもり』
序曲、P・I・チャイコフスキの『弦楽のためのセレナーデ』からワルツ、R・ワーグ
ナーの楽劇『ニュルンベルグの名歌手』から第一幕への前奏曲。
「巧いね、この学生オケは」
「だって、慶応だぜ、アンバサタ」
「俺達だって“帝京”だ。KeiouとTeikyou。あんまり変らねえよ」
「馬鹿野郎、この連中と俺達とじゃ出自も親の収入も違う。それにお頭だって」
「……その話しは止しましょうや。洒落にならねえ」
以上、帝京大学出身の川熊先輩と、後輩たるアンバサタの会話(笑)。
プログラムにある曲を演奏し終えると、希望者を募り『指揮者体験』のコーナー
へ。曲は彼の『のだめ』でブレーク中のベートーベン第七交響曲第一楽章。
希望者は手を上げて、というアナウンスに川熊先輩が
「おい、アンバサタ。振ってこいよ」
「いや、これも洒落にならねえ。俺が振ったら、ここの常任指揮者のお鉢が俺に廻
ってきちまう。俺にも今の生活があるからな」
「馬鹿か、お前は」
どこまでもお目出たい帝京大学出身者でした(笑)。
一休み(というのは聞こえが良いけど、実はアルコール摂取タイムでした。笑)の後
、偶然発見したTANのM口ディレクターと合流し、『ホール・ツアー』へ参加しました
。その案内役がこの方。どうも見たことある人だな、と思っていたら、道理でその正
体はこのホールの案内係のお兄ちゃん。今日もお世話になります、と心の中で手
を合わせ乍、彼の薀蓄に耳を傾ける。
「このホールって何席あるか知っていますか。実は二千六席あります。そしてこの
ホールの音響設計は、彼の世界的指揮者カラヤンに助言を求め……」
と、止めど無くサントリー・ホールの特色を独特の歌い調子で、時折どう仕様も無い
洒落を交え乍(笑)、説明してくれる。
「はい、このホール天上に燦然と輝くシャンデリアですが、どれ位のクリスタル・ガラ
スが嵌め込まれているか、皆さん解りますか。そう、正解は六千個です。そしてこの
形はアルコールの分子構造をモチーフにしています。私にはよく解りませんが」
解らねえなら言うなよ、と突っ込みたくなるが、面白いから許そう(笑)。ツアー参加者
も彼の口調に乗せられて、サントリー・ホールの“見方”を習得していく。
「さて、大ホールにやってきました。天上をから振下がっているシャンデリアですが、
何を表わしているでしょうか。お、鋭いですね、そう、これはシャンパンを表わしてい
ます。またその間にある板状のものは反響板といって、音が上に逃げるのを防ぐ役
割があります」
ほう、へえ、という感嘆の声が参加者から漏れる。大盛況の内にツアは終了した。
流石“天下の”サントリー・ホールである。幾ら金を払っていないお客だからと云って
無碍に扱わない。そのサービス精神に大家の貫禄みたいなものを感じたのは小生だ
けでは無い筈。
では、帰りましょうか、とTAN講中が衆議一決した時、ふとホール玄関の敷石が目に
入った。思えば、始めてデートしたのもサントリー・ホールだったな、それに始めて
音楽の偉大さに気付いたのもここだったな……。幾十万、否、幾百万という音楽ファン
の一喜一憂と共に摩り減って来たこの敷石に
「二十年間有り難う。綺麗になったら又会おうね」
と、感慨深く暫く見つめていたアンバサタでありました。
by yufuin-brothers | 2007-04-02 23:37 | 音楽よもやま話