二つの『マタイ受難曲』
2007年 03月 09日
兄弟!
今夜はJ・S・バッハ作曲『マタイ受難曲』(BWV244)のお話をしようか。
何だいきなり、と思うかもしれないが、まあお聞きなさいな(笑)。
『受難曲』とは何ぞや、という処から始めなければならないだろう。音楽の
友社版『新音楽辞典・楽語』(1977年)によると
原則的には新約聖書にある4つの福音書のいずれかによるキリスト
受難の記事に作曲したもの(以下省略)
とある。つまり、簡単に云うとこの曲は新約聖書の第一番目にある『マタイに
よる福音書』にバッハが曲を付けた、ということになる。また、バッハの宗教曲
の中でも最大の規模と演奏時間を要する(因みにCDだとニ~三枚組)。
単にでかくて、長い、というものじゃない。イエスが迫りつつある受難の予言
をするところから始まって、最後の晩餐、ユダの裏切りによる捕縛、ローマ総
督ピラトの宣告によって磔刑に処せられた後、三日後に復活をとげる、という
聖書の中でも一番の山場を音楽によって綴る。つまり、このドラマを再現する
のに必要な“でかさ”と“長さ”ということになろうか。
アンバサタが普段、愛聴している『マタイ受難曲』は以下の2種類。
①K・リヒター指揮/ミュンヘン・バッハ管弦楽団他(1958年スタジオ録音)
言わば、これがこの曲の“正調”といおうか。然し、スタジオ録音という特殊な
環境下にあっても、このぴりぴりとした緊張感は凄い。特に54曲目、総督がイ
エスに磔刑を言い渡す処なぞは何度聴いても身の毛が弥立つ。合唱の『十字
架につくべし!』という個所は、既に歌ではない。怒号や罵声の様に叫んでいる。
終曲へ向わせる推進力と格調の高さは他に類を見ない。この曲を知るのにこの
演奏があれば充分すぎる位だ。
②W・メンゲルベルグ指揮/アムステルダム・コンセルトへボウ管弦楽団他
(1939年ライブ録音)
①のリヒターは聖書を念頭に置いた演奏だったが、このメンゲルベルグの演奏
はこの曲が持つ“ドラマ性”にとことん焦点を当てた、言わば『オペラ的演奏』とい
っても過言ではない。バッハの時代には絶対なかったであろう演奏技法や、テン
ポの変化、強弱のデフォルメなどを駆使し、怒涛のような音楽ドラマが耳を襲う。
47曲目、アリアのソロがポルタメントを多用したヴァイオリンのオブリガートで
『憐れみ給え』と歌うその後ろで、聴衆のすすり泣きがはっきり聞こえる。その声
は曲が終わる頃には嗚咽となる。これが演奏された39年はヨーロッパの情勢不
安が極に達し、明日、どこで第二次大戦の戦端が開かれてもおかしくなかった。
その不安の中で聴衆はイエスの受難に自らを投射したのだろう。確かに、それだ
けの説得力がこの演奏にはある。語弊があるかもしれないが、俺には生生しい
『地獄絵図』を見ているように感じてならない。また絶滅した「カストラート」の声が
聞けるという特典も付いている、余談乍。
クラシックを余り聴かない友人によく聞かれる。
「なんで同じ曲を何種類ももってるの?」
「君と僕は違う考え方を持ってるでしょ。だからだよ」
と、いっても中々理解はして呉れない様だ。でも、違うんだよな、この二つの演奏
の様に。興味があったら是非この二つを聞き比べてみて欲しいぞ!
今夜はJ・S・バッハ作曲『マタイ受難曲』(BWV244)のお話をしようか。
何だいきなり、と思うかもしれないが、まあお聞きなさいな(笑)。
『受難曲』とは何ぞや、という処から始めなければならないだろう。音楽の
友社版『新音楽辞典・楽語』(1977年)によると
原則的には新約聖書にある4つの福音書のいずれかによるキリスト
受難の記事に作曲したもの(以下省略)
とある。つまり、簡単に云うとこの曲は新約聖書の第一番目にある『マタイに
よる福音書』にバッハが曲を付けた、ということになる。また、バッハの宗教曲
の中でも最大の規模と演奏時間を要する(因みにCDだとニ~三枚組)。
単にでかくて、長い、というものじゃない。イエスが迫りつつある受難の予言
をするところから始まって、最後の晩餐、ユダの裏切りによる捕縛、ローマ総
督ピラトの宣告によって磔刑に処せられた後、三日後に復活をとげる、という
聖書の中でも一番の山場を音楽によって綴る。つまり、このドラマを再現する
のに必要な“でかさ”と“長さ”ということになろうか。
アンバサタが普段、愛聴している『マタイ受難曲』は以下の2種類。
①K・リヒター指揮/ミュンヘン・バッハ管弦楽団他(1958年スタジオ録音)
言わば、これがこの曲の“正調”といおうか。然し、スタジオ録音という特殊な
環境下にあっても、このぴりぴりとした緊張感は凄い。特に54曲目、総督がイ
エスに磔刑を言い渡す処なぞは何度聴いても身の毛が弥立つ。合唱の『十字
架につくべし!』という個所は、既に歌ではない。怒号や罵声の様に叫んでいる。
終曲へ向わせる推進力と格調の高さは他に類を見ない。この曲を知るのにこの
演奏があれば充分すぎる位だ。
②W・メンゲルベルグ指揮/アムステルダム・コンセルトへボウ管弦楽団他
(1939年ライブ録音)
①のリヒターは聖書を念頭に置いた演奏だったが、このメンゲルベルグの演奏
はこの曲が持つ“ドラマ性”にとことん焦点を当てた、言わば『オペラ的演奏』とい
っても過言ではない。バッハの時代には絶対なかったであろう演奏技法や、テン
ポの変化、強弱のデフォルメなどを駆使し、怒涛のような音楽ドラマが耳を襲う。
47曲目、アリアのソロがポルタメントを多用したヴァイオリンのオブリガートで
『憐れみ給え』と歌うその後ろで、聴衆のすすり泣きがはっきり聞こえる。その声
は曲が終わる頃には嗚咽となる。これが演奏された39年はヨーロッパの情勢不
安が極に達し、明日、どこで第二次大戦の戦端が開かれてもおかしくなかった。
その不安の中で聴衆はイエスの受難に自らを投射したのだろう。確かに、それだ
けの説得力がこの演奏にはある。語弊があるかもしれないが、俺には生生しい
『地獄絵図』を見ているように感じてならない。また絶滅した「カストラート」の声が
聞けるという特典も付いている、余談乍。
クラシックを余り聴かない友人によく聞かれる。
「なんで同じ曲を何種類ももってるの?」
「君と僕は違う考え方を持ってるでしょ。だからだよ」
と、いっても中々理解はして呉れない様だ。でも、違うんだよな、この二つの演奏
の様に。興味があったら是非この二つを聞き比べてみて欲しいぞ!
by yufuin-brothers | 2007-03-09 23:50 | 音楽よもやま話