第2回 歌劇『イーゴリ公』より―韃靼人の踊り―
2008年 11月 22日
12世紀から13世紀に懸けて、北方の遊牧民モンゴル族はユーラシア大陸を縦横無尽に暴れ廻り、一時期は全世界人口の三分の一を領する八紘一宇の大帝国として君臨する。
幼い頃から馬上で生活し、弓を玩具に育ったモンゴル族は、いざ戦いになるとたちどころに強力な兵士へと変貌した。駿馬に跨り強弓を引く何千何万と云う大部隊が曠野の果てから浮塵子の如く来襲し、竈の灰まで残さず略奪の限りを尽くし去っていく……欧羅巴人はこれに怯え戦き、モンゴル人をタルタリア、即ち地獄の住人として「タルタル人」或いは「タタール人」と忌諱したのだった。
19世紀、ロシアの作曲家アレクサンダー・ボロジンは、そのタルタル人の一流、ポーロベツ人の侵攻に立ち向かう、キエフ公国ノブゴロド・セーベルスキ公イーゴリの奮戦を描いた愛国的英雄叙事詩『イーゴリ遠征物語』を題材に歌劇『イーゴリ公』を書いた。その第二幕で奏される『韃靼人(ポーロベツ人)の踊り』と云う曲を本日は紹介しようと思う。
この曲は先ず略取され捕虜となった乙女達が望郷の念を歌い、それを妨げる様に兵士達がそのハーン、即ち自らの首領たる汗を讃える声が上がり、その後喜びの乱舞になる、という場面で演奏される。東洋的な美しい旋律と粗野で激しい土俗的なリズムとを交互にする事で『地獄の住人』と呼ばれるポーロベツ人の残忍さや蛮行振りを強調するのが狙いなのだから、大人しい演奏では正直云って詰まらない。芝居っ気があって外連味たっぷりな指揮者がオーケストラを駆り立て、どんがらがっしゃんと鳴らすからこそ、この曲が生彩を放つのだ。
大英帝国最後の変人、と呼ばれたトマス・ビーチャム卿とロンドン・フィル(1939年)の演奏は正に曲の醍醐味を充分堪能させて呉れる。本来、遣い切れない筈の膨大な財産を音楽ですっからかんにして仕舞ったと云う豪儀な胆力が曲中に漲り、兎に角、面白く聴かせよう―若しかしたら自分自身が楽しみたかった丈かも知れないが―と形振り構わず猛進する演奏は70年経た今でも私達の魂を揺さぶる。轟音を生み出す打楽器、火が附いた様に叫ぶが如き合唱、突撃信号の様に鳴り響くトランペット。挙げ句、テンポの急激な変化でリズムがひっくり返りそうになったり……。最近こういう手に汗を握らせて呉れる音楽を演る人が少なくなって来たのが残念でならない。あれは過去の悪弊、『大いなるディレッタント時代』(文末に注あり)の遺産なのだ、と片付けて仕舞う一統に、私は断じて組しない。面白い曲を面白く演奏して何が悪い。面白い筈の曲を詰まらなくしている方が余程デレッタントではないか。現在、クラシックが高尚だなんて誤解を受けるのは、屹度この辺りにも原因があるのだ、と私は憂う。
無駄とは思わないが、閑話休題。
派手にオーケストラを鳴らすことで定評のあるコンスタンチン・シルベストリ指揮フィルハーモニア管(1960)の演奏は流石にその期待を裏切らない。シルベストリもルーマニアという欧羅巴の東端で生まれた丈あってボロジンと気脈を通じる処があるのか、要所の壺を押さえつつ存分に暴れ捲る。因みにこちらは管弦楽のみ。然し、迫力は満点で打楽器主体のリズム処理と勇壮な管楽器は『蒙古襲来絵詞』を活写した様である。その気炎故か、曲が進み柔和でしんみり聴かせる乙女達の合唱が還ってくると、それが戦士達の挽歌の様に聞こえて来るから不思議。大音量を作り出せる指揮者は弱音の妙味も会得しているものなのだ。
さて、そろそろ稀代のニヒリスト、お馴染みのセルジウ・チェリビダッケにご登場願おう(トリノ・イタリア放送管弦楽団、1962年9月1日)。この御仁もシルベストリ同様ルーマニア出身であり、打楽器による土俗的なリズムの処理は流石に上手い。然し、解釈の立脚点が全く違う。今までの指揮者が曲にある背景を忠実に再現しようとしていたのに対し、チェリビダッケはその動的な内容に潜む静の部分に焦点を合わせる。ビーチャム卿やシルベストリがベルサイユで仰ぐ極彩色の大絵画だとしたら、チェリビダッケは茶室の床の間に掛かる一幅の山水画の態。多分、千利休が指揮者だったらこう演奏したのだろうな、と勘ぐりたくも成る玄妙にして深淵な世界。西洋人にして禅宗に深く帰依していたと云うこの指揮者の面目躍如なる演奏である。然し、この類の演奏は一種麻薬的であって万人にその効能は及ぼさないが、一度その衝撃に憑かれて仕舞うと大変な目に遭う。
『煙草を吸った事のない小児が、この先煙草無しでは生きられないと云うであろうか』
とチェリビダッケ自身がいみじくも語った様に……。
金太郎飴の様にどれもこれも、同じ切り口しか出て来ない演奏許なら、誰がクラシックなんて聴いて遣るもんか。
〈注〉『大いなるデレッタント時代』…ディレッタントとは芸術愛好家、好事家、という謂。イタリア語本来の意味は熱心な音楽愛好家を示すと云う。要は“音楽の素人”という意。20世紀初頭に活躍した著名な指揮者や独奏者の中には専門の音楽教育を修めていない人(詰まり、音楽大学を卒業していない人)が多かった為、往々にしてその演奏が大衆に迎合的であったり、即興的な劇場効果を狙ったものになったのだ、という見地からの区分。因みにビーチャム卿やフルトヴェングラーは音楽を個人授業で学んでいる。
本日紹介したCD
ビーチャム卿指揮LPO(ISBM3-86562-669-6 DOCUMENTS 10枚組)
シルベストリ指揮フィルハーモニー管(DB707433 Disky Classics 10枚組)
チェリビダッケ指揮RAI(HUNTCD 526 HUNT)
※ビーチャム卿やシルベストリの録音は先に紹介したHMV等で入手可能ですが(10枚組でも国内盤1枚程の価格とはこれ如何に)、御多分に漏れず、チェリビダッケのは海賊版。例に依って例に因り、お聞きになりたい方はアンバサダーにそおっと耳打ちして下さいまし。呵呵。
幼い頃から馬上で生活し、弓を玩具に育ったモンゴル族は、いざ戦いになるとたちどころに強力な兵士へと変貌した。駿馬に跨り強弓を引く何千何万と云う大部隊が曠野の果てから浮塵子の如く来襲し、竈の灰まで残さず略奪の限りを尽くし去っていく……欧羅巴人はこれに怯え戦き、モンゴル人をタルタリア、即ち地獄の住人として「タルタル人」或いは「タタール人」と忌諱したのだった。
19世紀、ロシアの作曲家アレクサンダー・ボロジンは、そのタルタル人の一流、ポーロベツ人の侵攻に立ち向かう、キエフ公国ノブゴロド・セーベルスキ公イーゴリの奮戦を描いた愛国的英雄叙事詩『イーゴリ遠征物語』を題材に歌劇『イーゴリ公』を書いた。その第二幕で奏される『韃靼人(ポーロベツ人)の踊り』と云う曲を本日は紹介しようと思う。
この曲は先ず略取され捕虜となった乙女達が望郷の念を歌い、それを妨げる様に兵士達がそのハーン、即ち自らの首領たる汗を讃える声が上がり、その後喜びの乱舞になる、という場面で演奏される。東洋的な美しい旋律と粗野で激しい土俗的なリズムとを交互にする事で『地獄の住人』と呼ばれるポーロベツ人の残忍さや蛮行振りを強調するのが狙いなのだから、大人しい演奏では正直云って詰まらない。芝居っ気があって外連味たっぷりな指揮者がオーケストラを駆り立て、どんがらがっしゃんと鳴らすからこそ、この曲が生彩を放つのだ。
大英帝国最後の変人、と呼ばれたトマス・ビーチャム卿とロンドン・フィル(1939年)の演奏は正に曲の醍醐味を充分堪能させて呉れる。本来、遣い切れない筈の膨大な財産を音楽ですっからかんにして仕舞ったと云う豪儀な胆力が曲中に漲り、兎に角、面白く聴かせよう―若しかしたら自分自身が楽しみたかった丈かも知れないが―と形振り構わず猛進する演奏は70年経た今でも私達の魂を揺さぶる。轟音を生み出す打楽器、火が附いた様に叫ぶが如き合唱、突撃信号の様に鳴り響くトランペット。挙げ句、テンポの急激な変化でリズムがひっくり返りそうになったり……。最近こういう手に汗を握らせて呉れる音楽を演る人が少なくなって来たのが残念でならない。あれは過去の悪弊、『大いなるディレッタント時代』(文末に注あり)の遺産なのだ、と片付けて仕舞う一統に、私は断じて組しない。面白い曲を面白く演奏して何が悪い。面白い筈の曲を詰まらなくしている方が余程デレッタントではないか。現在、クラシックが高尚だなんて誤解を受けるのは、屹度この辺りにも原因があるのだ、と私は憂う。
無駄とは思わないが、閑話休題。
派手にオーケストラを鳴らすことで定評のあるコンスタンチン・シルベストリ指揮フィルハーモニア管(1960)の演奏は流石にその期待を裏切らない。シルベストリもルーマニアという欧羅巴の東端で生まれた丈あってボロジンと気脈を通じる処があるのか、要所の壺を押さえつつ存分に暴れ捲る。因みにこちらは管弦楽のみ。然し、迫力は満点で打楽器主体のリズム処理と勇壮な管楽器は『蒙古襲来絵詞』を活写した様である。その気炎故か、曲が進み柔和でしんみり聴かせる乙女達の合唱が還ってくると、それが戦士達の挽歌の様に聞こえて来るから不思議。大音量を作り出せる指揮者は弱音の妙味も会得しているものなのだ。
さて、そろそろ稀代のニヒリスト、お馴染みのセルジウ・チェリビダッケにご登場願おう(トリノ・イタリア放送管弦楽団、1962年9月1日)。この御仁もシルベストリ同様ルーマニア出身であり、打楽器による土俗的なリズムの処理は流石に上手い。然し、解釈の立脚点が全く違う。今までの指揮者が曲にある背景を忠実に再現しようとしていたのに対し、チェリビダッケはその動的な内容に潜む静の部分に焦点を合わせる。ビーチャム卿やシルベストリがベルサイユで仰ぐ極彩色の大絵画だとしたら、チェリビダッケは茶室の床の間に掛かる一幅の山水画の態。多分、千利休が指揮者だったらこう演奏したのだろうな、と勘ぐりたくも成る玄妙にして深淵な世界。西洋人にして禅宗に深く帰依していたと云うこの指揮者の面目躍如なる演奏である。然し、この類の演奏は一種麻薬的であって万人にその効能は及ぼさないが、一度その衝撃に憑かれて仕舞うと大変な目に遭う。
『煙草を吸った事のない小児が、この先煙草無しでは生きられないと云うであろうか』
とチェリビダッケ自身がいみじくも語った様に……。
金太郎飴の様にどれもこれも、同じ切り口しか出て来ない演奏許なら、誰がクラシックなんて聴いて遣るもんか。
〈注〉『大いなるデレッタント時代』…ディレッタントとは芸術愛好家、好事家、という謂。イタリア語本来の意味は熱心な音楽愛好家を示すと云う。要は“音楽の素人”という意。20世紀初頭に活躍した著名な指揮者や独奏者の中には専門の音楽教育を修めていない人(詰まり、音楽大学を卒業していない人)が多かった為、往々にしてその演奏が大衆に迎合的であったり、即興的な劇場効果を狙ったものになったのだ、という見地からの区分。因みにビーチャム卿やフルトヴェングラーは音楽を個人授業で学んでいる。
本日紹介したCD
ビーチャム卿指揮LPO(ISBM3-86562-669-6 DOCUMENTS 10枚組)
シルベストリ指揮フィルハーモニー管(DB707433 Disky Classics 10枚組)
チェリビダッケ指揮RAI(HUNTCD 526 HUNT)
※ビーチャム卿やシルベストリの録音は先に紹介したHMV等で入手可能ですが(10枚組でも国内盤1枚程の価格とはこれ如何に)、御多分に漏れず、チェリビダッケのは海賊版。例に依って例に因り、お聞きになりたい方はアンバサダーにそおっと耳打ちして下さいまし。呵呵。
by yufuin-brothers | 2008-11-22 02:01 | アンバサダーの通俗曲道場