「お静かに願います」―説教強盗・妻木松吉―
2008年 10月 28日
兄弟!
また何処からか風邪を貰って来たらしい。どうしてこんな物を重ねて頂いてくるのか。
どうせ貰うなら宝籤の當券がいいな、と思えども最近はそれが元で一家惨殺なんて憂き目を見るらしいから物騒である。
最近の犯罪には全く節操がない。特に「振り込め詐欺」等と云う、幼気な年寄りの真心を逆手に取る輩が跋扈しているのは全く不埒千万、沙汰の限り。当今の警察がまごついているのなら、両町奉行を復活させ、とっ捕まえて市中引き回しの上磔と仮借なく遣ったがいい。何なら石責や海老責で散々痛めつけ、山田朝右衛門をして斬首に処しても構わない。屹度、本朝盗賊の取締、袴垂保輔、熊坂丁半、石川五右衛門なぞも「盗人猛々しい」と冥府で後輩共の所行を嘆いているに違いない。
「お静かに願います」
と深夜押し入った先の家人を先ず諭す処から、一名「説教強盗」として名を馳せた妻木松吉という明治生まれの男がいた。昭和元年から新宿、池袋、板橋を股に掛け
「泥棒除けに犬を飼うもんだ」
「大体、この家は戸締まりがなってない」
と朝まで防犯の指南をし、何故かより多くの金品を出させる術を身に附けていたと云う。その後の逃走経路も抜かりはなく、何気ない顔をして始発電車で帰宅する大胆不敵な犯行故か何と三年も捕まらなかった。然し、唯一残された指紋から逮捕され、受けた取り調べでは
「私の犯行は64件ではありません。正しくは65件です。最初に這入った家は……」
と、その強姦、強盗を余す事なく縷々懇々と自供する。その口跡に担当官は驚嘆驚愕し
「其れほどの才があれば、大学にだって入れただろうに」
「ええ、そんなの訳ありませんや。バール一本あれば……」
何て、まことしやかな小咄が出来た程、その悪名千里を走った。
暫くの服役後、出所した妻木へ色物寄席、新宿末広亭の先代席亭である北村銀太郎氏がその評判を聞き、寄席へ出てみないか、と声を懸けたらしい。誘う方も変わっていると思うが、それを二つ返事で請け合う方も常の人ではない。実際、妻木は末広亭の高座で得意の説教を「防犯講演」と題し、大いに好評を博したのだと云う。
平成元年、元泥棒現寄席芸人、妻木松吉は末広がりの88歳で永久釈放となる。
どうです、昔は悪人と云えど一寸粋なもんでしょ、としたかったが、高座に上がりあたしらの生活を脅かすなんざ矢張り「盗人猛々しい」。呵呵。
職業に貴賎なし、どんな仕事だって馬鹿では出来ない。でも、利口ならこんなこと、尚遣らない。
余禄
参考文献に用いた『寄席末広亭』の一節で先代の御席亭、北村銀太郎氏が高座に上げた「怪しげな芸人達」の口述が中々面白いのでご紹介しましょう。
『強盗が微笑しながら出てきて、強盗はしちゃいけない、なんて説教してみたり(妻木松吉のこと也。アンバサダー注)、如何様師が大学の先生になったような顔をしていんち賭博のやり方を集中講義してみたり、お客がそれをノートにとったりしてね。中には質問!なんてのもある。そうかと思うと、日本太郎なんて変なのが出てきて、網走刑務所脱獄の場なんかを再現したりする。それも懐から紙を刻んだ雪を出して撒いたりしてね、丁寧なんだよ、芸が。それからまた、元殺人犯なんてすごいのが出てきて「いよいよ明晩は私がその男を殺す場面です。では、また明晩ここでお会いしましょう」なんて言ってニヤニヤしたりするの。今じゃ考えられないよ、こんなことは。』(出典 『寄席末広亭』冨田均(平凡社ライブラリー) 2001年1月平凡社 pp127)
参考文献 『江戸をつくった偉人鉄人』荒俣宏、他 2002年10月平凡社
『寄席末広亭』冨田均(平凡社ライブラリー) 2001年1月平凡社
また何処からか風邪を貰って来たらしい。どうしてこんな物を重ねて頂いてくるのか。
どうせ貰うなら宝籤の當券がいいな、と思えども最近はそれが元で一家惨殺なんて憂き目を見るらしいから物騒である。
最近の犯罪には全く節操がない。特に「振り込め詐欺」等と云う、幼気な年寄りの真心を逆手に取る輩が跋扈しているのは全く不埒千万、沙汰の限り。当今の警察がまごついているのなら、両町奉行を復活させ、とっ捕まえて市中引き回しの上磔と仮借なく遣ったがいい。何なら石責や海老責で散々痛めつけ、山田朝右衛門をして斬首に処しても構わない。屹度、本朝盗賊の取締、袴垂保輔、熊坂丁半、石川五右衛門なぞも「盗人猛々しい」と冥府で後輩共の所行を嘆いているに違いない。
「お静かに願います」
と深夜押し入った先の家人を先ず諭す処から、一名「説教強盗」として名を馳せた妻木松吉という明治生まれの男がいた。昭和元年から新宿、池袋、板橋を股に掛け
「泥棒除けに犬を飼うもんだ」
「大体、この家は戸締まりがなってない」
と朝まで防犯の指南をし、何故かより多くの金品を出させる術を身に附けていたと云う。その後の逃走経路も抜かりはなく、何気ない顔をして始発電車で帰宅する大胆不敵な犯行故か何と三年も捕まらなかった。然し、唯一残された指紋から逮捕され、受けた取り調べでは
「私の犯行は64件ではありません。正しくは65件です。最初に這入った家は……」
と、その強姦、強盗を余す事なく縷々懇々と自供する。その口跡に担当官は驚嘆驚愕し
「其れほどの才があれば、大学にだって入れただろうに」
「ええ、そんなの訳ありませんや。バール一本あれば……」
何て、まことしやかな小咄が出来た程、その悪名千里を走った。
暫くの服役後、出所した妻木へ色物寄席、新宿末広亭の先代席亭である北村銀太郎氏がその評判を聞き、寄席へ出てみないか、と声を懸けたらしい。誘う方も変わっていると思うが、それを二つ返事で請け合う方も常の人ではない。実際、妻木は末広亭の高座で得意の説教を「防犯講演」と題し、大いに好評を博したのだと云う。
平成元年、元泥棒現寄席芸人、妻木松吉は末広がりの88歳で永久釈放となる。
どうです、昔は悪人と云えど一寸粋なもんでしょ、としたかったが、高座に上がりあたしらの生活を脅かすなんざ矢張り「盗人猛々しい」。呵呵。
職業に貴賎なし、どんな仕事だって馬鹿では出来ない。でも、利口ならこんなこと、尚遣らない。
余禄
参考文献に用いた『寄席末広亭』の一節で先代の御席亭、北村銀太郎氏が高座に上げた「怪しげな芸人達」の口述が中々面白いのでご紹介しましょう。
『強盗が微笑しながら出てきて、強盗はしちゃいけない、なんて説教してみたり(妻木松吉のこと也。アンバサダー注)、如何様師が大学の先生になったような顔をしていんち賭博のやり方を集中講義してみたり、お客がそれをノートにとったりしてね。中には質問!なんてのもある。そうかと思うと、日本太郎なんて変なのが出てきて、網走刑務所脱獄の場なんかを再現したりする。それも懐から紙を刻んだ雪を出して撒いたりしてね、丁寧なんだよ、芸が。それからまた、元殺人犯なんてすごいのが出てきて「いよいよ明晩は私がその男を殺す場面です。では、また明晩ここでお会いしましょう」なんて言ってニヤニヤしたりするの。今じゃ考えられないよ、こんなことは。』(出典 『寄席末広亭』冨田均(平凡社ライブラリー) 2001年1月平凡社 pp127)
参考文献 『江戸をつくった偉人鉄人』荒俣宏、他 2002年10月平凡社
『寄席末広亭』冨田均(平凡社ライブラリー) 2001年1月平凡社
by yufuin-brothers | 2008-10-28 21:15 | 東都探訪