左を見て、右を見て
2008年 05月 09日
パリの自動車の運転マナーが決して良くないのは多くの方がご存知だと思いますが、最近大幅な道路工事が行われてバスやタクシー、自転車の専用車線が増設されてから、ただでさえ危なかった道路横断が余計注意を必要とするような事態になってしまいました。例えばこの写真はモンパルナス大通り。見えてませんが手前の右手にモンパルナスタワーが聳えていて、非常に交通量の多い所です。右の2車線は普通車用で画面左から右に車が流れます。ちょっと白っぽく写ってる真中2車線はバス、タクシー、自転車専用。手前が左から右へ、向こう側は右から左へ。その更に向こうに2車線あり、信号待ちしてる普通車のヘッドライトが見えてますね。画面右から左に走ってる訳です。これを横断するとなると、首が疲れるくらいあっちこっち見て、信号も大抵2段階くらいになってるんで時差にも気をつけつつ、という事になります。
一番危ないのは、バス停が普通は歩道にあるのに、こういうシステムの道路の所は大通りの真中にバス停が作ってあるので、乗り遅れそうになる人が無茶な横断をしがちになる訳です。真中の写真はオステルリッツ駅から植物園に向かって渡る横断歩道。手前の2車線がバス等専用で、左から右、そして右から左。バス停が見えてますよね。そこが安全地帯になっていて、「まず左、それから右をみよ」という看板が立っています(写真左)。というのは次の2車線が左からくる普通車用、最後の1車線が右から来る普通車用だから。ここで大事なのは、フランスでは車が来ないか確認して渡る、という事です。おまわりさんだって赤信号でも横断歩道じゃないとこでも車さえ来なきゃどんどん渡ります。反面信号が青でも決して信用してはいけません。自転車(歩道を走るのは禁止)が止まっている車の影から疾走してくるかもしれないし、配達のスクーターなどの信号無視はしょっちゅう見ます。車だって例えば凱旋門やバスティーユみたいな巨大ロータリー(ずうずうしい者が勝ち、の仁義なき世界)だと、じれたドライバーが無茶に飛ばしてくる事もある。神経質になる必要はなくても、手荷物に常に注意するべきなのと同じように、横断は自分自身で安全を確認してから、が基本です。
それでも万が一事故が起こってしまった場合。どんなに自分に非がある場合でも、すみません、と言ってはいけません。日本人の感覚で、物事を和らげようとして、ちょっとくらい痛くても大丈夫です、と言ったり、いやー自分の不注意で、なんて言おうものなら、ほら見た事か、と全ての罪を着せられる恐れが大いにある。笑ってもいけません。私は渡仏初期に空巣に入られ、来てくれた巡査さんに「これも人生ですね」なんて笑ってみせて大いに訝られた事があります。ステレオやテレビ盗まれたのににっこりするなんて、グルじゃないか?くらい思ったかも。罪を着せられそうになったり、理不尽な言いがかりをつけられたと思ったら日本語で大声でまくしたてると良いでしょう。冗談じゃありません、どうしてくれるんですか!!って。こっちでは声が大きい方が勝ちってとこあるんです。悲しい事に。勿論その場の状況を考え、空気を読み、極端な場合逃げた方が良い事だってあるかもしれない。まあパリでそういう危険を伴うようなケースはあまり聞きませんが。
あまり楽しくない話題ですが、やはりいろんな国と隣り合って国境が常に変わるような場所だった大陸にいる人達は、自分の利益を守る事に対してしたたかです。どちらかというと詭弁で人を負かしちゃう人の方が、ニコニコ謙遜してる人より称賛されがち。謙遜は美徳とは思われていません。それから相手の気持ちを察するという習慣は全くない。習慣って言ったって、そんなの普通にわかるじゃん、と思われるでしょう?でもそれが普通じゃない国もあるんです。全部言葉で説明する。ただ日本人はこういう場合こう感じてこう行動するものです、日本ではこういう行いが美しいとされるんです、と言葉で説明さえすれば、それなりに理解しようとしてくれます。あなた達のこういう行いを、私達日本人は習慣的に大変野蛮だと思うんです、っていうような意見のほうが、ただニコニコしてうんうんって頷いているよりよっぽど受け入れられる。自分の意見をいわずにニコニコしている日本人は何を考えてるのか解らん、不気味だ、となってしまう訳。でもね、意志疎通さえできればああやっぱりお互い人間だよな、って思う。文化の違いからくるものを悪意と勘違いするのはとても危険ですよね。違う者同士、どうやってお互いを尊重して共存するか。大きなテーマだと思います。
それでも万が一事故が起こってしまった場合。どんなに自分に非がある場合でも、すみません、と言ってはいけません。日本人の感覚で、物事を和らげようとして、ちょっとくらい痛くても大丈夫です、と言ったり、いやー自分の不注意で、なんて言おうものなら、ほら見た事か、と全ての罪を着せられる恐れが大いにある。笑ってもいけません。私は渡仏初期に空巣に入られ、来てくれた巡査さんに「これも人生ですね」なんて笑ってみせて大いに訝られた事があります。ステレオやテレビ盗まれたのににっこりするなんて、グルじゃないか?くらい思ったかも。罪を着せられそうになったり、理不尽な言いがかりをつけられたと思ったら日本語で大声でまくしたてると良いでしょう。冗談じゃありません、どうしてくれるんですか!!って。こっちでは声が大きい方が勝ちってとこあるんです。悲しい事に。勿論その場の状況を考え、空気を読み、極端な場合逃げた方が良い事だってあるかもしれない。まあパリでそういう危険を伴うようなケースはあまり聞きませんが。
あまり楽しくない話題ですが、やはりいろんな国と隣り合って国境が常に変わるような場所だった大陸にいる人達は、自分の利益を守る事に対してしたたかです。どちらかというと詭弁で人を負かしちゃう人の方が、ニコニコ謙遜してる人より称賛されがち。謙遜は美徳とは思われていません。それから相手の気持ちを察するという習慣は全くない。習慣って言ったって、そんなの普通にわかるじゃん、と思われるでしょう?でもそれが普通じゃない国もあるんです。全部言葉で説明する。ただ日本人はこういう場合こう感じてこう行動するものです、日本ではこういう行いが美しいとされるんです、と言葉で説明さえすれば、それなりに理解しようとしてくれます。あなた達のこういう行いを、私達日本人は習慣的に大変野蛮だと思うんです、っていうような意見のほうが、ただニコニコしてうんうんって頷いているよりよっぽど受け入れられる。自分の意見をいわずにニコニコしている日本人は何を考えてるのか解らん、不気味だ、となってしまう訳。でもね、意志疎通さえできればああやっぱりお互い人間だよな、って思う。文化の違いからくるものを悪意と勘違いするのはとても危険ですよね。違う者同士、どうやってお互いを尊重して共存するか。大きなテーマだと思います。
by yufuin-brothers | 2008-05-09 06:40 | 巴里の風