ばあちゃんが死にました。
2008年 01月 25日
兄弟!
私事で恐縮ですが、我が祖母、尾花マサが1月22日午後1時6分に身罷りました。
大正8年2月6日生まれ、卒寿を目前にして、西方十万億土に旅立ちました。早くに
連合いを無くし、女手一つで男二人(その次男が我が父)、女三人を育て上げた気丈
夫。晩年は痴呆で正体を無くし、死因は多種の癌を併発した、言わば老衰で往生を
迎えました。
我が両親は共稼ぎであった事もあって、この祖母が俗に云う「育ての親」でありまし
た。古言に曰く、小児は白糸の如し。私が幼稚園の頃から祖母は子守唄代わりに浪
曲を唸り、三波春夫や、村田英雄の名調子でいたいけな勉少年を洗脳し(笑)、その
結果、尾花勉、即ちアンバサダーは現在の人格に染抜かれた、と言っても過言では
ありません。
人が死ぬと云うことは一体如何云う事なのでしょうか。私には解りません。
だって、今だって祖母が死んだんだ、と云う実感は余り強くありません。今宵、その死
顔を見て来ましたが、怒られるかも知れませんが全く涙は出ませんでした。然し、自
宅に戻り酒杯を交え乍、親と祖母の思いでを遣ったり取ったりしている最中、徐に父親
が
「かあちゃんが……」
と言って号泣した時、何故か関を切った様に、私も涙が溢れて来ました。家族3人、
思いっきり泣きました。其処で祖母が此の世の人でない事だけは実感しましたが、
でも、でも私の中で祖母は肉感として、未だ生き続けてているのです。
これを如何やって著してよいやら。私には解りません。
世界中のゆふいん兄弟、親類縁者の皆様、願わくば我が祖母が為、一篇の御回向
を。茲は全てを共有する場、憚り乍、通夜葬儀告別式の予定を。
納棺 1月25日金曜日 午後3時より
通夜 同日金曜日 午後6時より
葬儀並びに告別式 同26日土曜日 午後1時より2時迄
式場 桐生典礼会館
〒3760013
群馬県桐生市広沢町5丁目4722
電話(0277)55-0101
喪主 尾花悦子(長男の奥様)
私は明日の朝、上州へ参り、日曜日の夕刻には東都へ戻ります。
お酒好き、芸事好き、騒ぎ好きな祖母の野辺の送りです。涙はさて置いて、大いに賑
賑しくして来ようと思います。
そうじゃないと、遣りきれないから……。
親愛なる世界中の兄弟、親類縁者の皆様へ
私事で恐縮ですが、我が祖母、尾花マサが1月22日午後1時6分に身罷りました。
大正8年2月6日生まれ、卒寿を目前にして、西方十万億土に旅立ちました。早くに
連合いを無くし、女手一つで男二人(その次男が我が父)、女三人を育て上げた気丈
夫。晩年は痴呆で正体を無くし、死因は多種の癌を併発した、言わば老衰で往生を
迎えました。
我が両親は共稼ぎであった事もあって、この祖母が俗に云う「育ての親」でありまし
た。古言に曰く、小児は白糸の如し。私が幼稚園の頃から祖母は子守唄代わりに浪
曲を唸り、三波春夫や、村田英雄の名調子でいたいけな勉少年を洗脳し(笑)、その
結果、尾花勉、即ちアンバサダーは現在の人格に染抜かれた、と言っても過言では
ありません。
人が死ぬと云うことは一体如何云う事なのでしょうか。私には解りません。
だって、今だって祖母が死んだんだ、と云う実感は余り強くありません。今宵、その死
顔を見て来ましたが、怒られるかも知れませんが全く涙は出ませんでした。然し、自
宅に戻り酒杯を交え乍、親と祖母の思いでを遣ったり取ったりしている最中、徐に父親
が
「かあちゃんが……」
と言って号泣した時、何故か関を切った様に、私も涙が溢れて来ました。家族3人、
思いっきり泣きました。其処で祖母が此の世の人でない事だけは実感しましたが、
でも、でも私の中で祖母は肉感として、未だ生き続けてているのです。
これを如何やって著してよいやら。私には解りません。
世界中のゆふいん兄弟、親類縁者の皆様、願わくば我が祖母が為、一篇の御回向
を。茲は全てを共有する場、憚り乍、通夜葬儀告別式の予定を。
納棺 1月25日金曜日 午後3時より
通夜 同日金曜日 午後6時より
葬儀並びに告別式 同26日土曜日 午後1時より2時迄
式場 桐生典礼会館
〒3760013
群馬県桐生市広沢町5丁目4722
電話(0277)55-0101
喪主 尾花悦子(長男の奥様)
私は明日の朝、上州へ参り、日曜日の夕刻には東都へ戻ります。
お酒好き、芸事好き、騒ぎ好きな祖母の野辺の送りです。涙はさて置いて、大いに賑
賑しくして来ようと思います。
そうじゃないと、遣りきれないから……。
親愛なる世界中の兄弟、親類縁者の皆様へ
by yufuin-brothers | 2008-01-25 00:54 | アンバサダー随感録