熱狂!日比谷公会堂
2007年 12月 08日
兄弟!
いや・す【《癒す】(他五) 「病気・苦痛などをなおす」意の雅語的表現。「傷(あと)を―・
退屈を―」 表記「《医す」とも書く。
(出典・三省堂『新明解国語辞典』第4版、pp84)
クラシック音楽=「癒し」だ、という今流行りの感覚で、12月5日の日比谷公会堂に来たお
客さんには、私が云うのも何だか、さぞ驚かれたのでは無いだろうか。
「アンバサダーさん、明日、井上道義指揮の名古屋フィルハーモニー交響楽団の演奏会行
きませんか」
後輩I君との打ち合わせは何時も唐突なのだが無駄がない。お互い10年も付き合ってい
ると阿吽の呼吸で事が成る。これを腐れ縁というならそれでもよろしい。
「だってさ、演奏曲がショスタコオビッチの11、12交響曲ですよ。我々を呼んでいるとしか
思えません」
「然り。豈辞すこと能わん哉」
『日露友好ショスタコーヴィチ交響曲全曲演奏プロジェクト2007』と聴いて、あれ、と思っ
た皆さんも多いのではないか。そう、先日散々「気味悪い」と書き立てた演奏会のことだ。あ
の言葉は私流のパラドックスだったことを、再び其処へ足を運ぶことででお分かりになるだ
ろう。
前半は「血の日曜日」事件をモチーフにした、交響曲第11番「1905年」ト短調Op103で
ある。正直言えば、私はショスタコーヴィッチの共産思想なぞどうでもいいし、それに則して
この大曲を聴こうとも思わない。勿論、標題音楽であるからその意図は汲むべきなのだろう
が、それさえ詳細に加味せずとも、曲自体が雄弁であるから構わない。我々聴衆は黙って
耳を澄ませていれば充分という、稀有な芸術なのである。
演奏が始まって直ぐ、何かが起る、と予期した。
不気味な静謐が支配する1楽章に、総毛が弥立つ。ニ楽章に入ると、体が小刻みに震え
始め、私もI君も如何説明してよいか解らぬ涙が、止めど無く噴出している。3楽章では千
人を越えるお客が音一つ立てず只管、音楽に身を委ねている、否、呑まれているのだ。終
楽章に至った時、私はもうどうなってもいいと思った。これを聴き終わるまでは死んでも茲
を離れるものか、殺さば、殺せ。この演奏が終わって世が終わるなら、それで本望。
阿鼻叫喚のコーダが堂内に鳴り響いた。突如、数人の拍手が起ったが、鳴り止んで仕舞
った。その間の数秒が永遠に続くのではないか、と思った時、この歴史的建造物が崩れて
も可笑しくない位の大喝采が襲ったのだった。茲にいる全ての人間が感動しきっている。指
揮者の井上さんさえも明かにそういう面持ちを隠さなかった。
これが前半。もう一曲の演奏は云わずもがなであろう。
後半の第12交響曲を演奏し終えたオーケストラの面々は、舞台上で互いの健闘を称え
アマチュアの様に握手を交わしている。止まぬ大喝采に指揮者は何度となく舞台へ呼び出
され、楽団員が捌け切っても尚、カーテンコールで聴衆の興奮に答えていた。
全てが終り日比谷公会堂を出たのが21時20分、何と21時20分である。無論、アンコー
ル無しで、である。私もI君も真っ直ぐ歩けない。頭は朦朧としているし、腰もすわっていな
い。二人でよろよろしながらやっとの思いで日比谷公園を出た。
「貴君、負けたね」
「やられました」
「これこそ本物だ。音楽で癒されるなんて云う輩に……」
「アンバサダーさん、それ以上云わないで下さい。馬鹿馬鹿しい」
井上道義さん、そして名古屋フィルハーモニー交響楽団の皆さん。心底より感謝致しま
す。私は、この演奏会を「体験」できて幸せでした。幾久しく、人生の宝物にします。
これだから、音楽は止められないんだよね、そうでしょ。
追伸
今週末の9日、とうとうこのプロジェクトが完結します。最後を飾るのは第15、並びに第8
交響曲というこれまた大曲。未だ、日比谷のショスタコを体験されていない東京近在の方が
いらっしゃいましたら是非共お出かけください。
但し、「癒しの音楽」ではありませんから、御注意下さいな。
いや・す【《癒す】(他五) 「病気・苦痛などをなおす」意の雅語的表現。「傷(あと)を―・
退屈を―」 表記「《医す」とも書く。
(出典・三省堂『新明解国語辞典』第4版、pp84)
クラシック音楽=「癒し」だ、という今流行りの感覚で、12月5日の日比谷公会堂に来たお
客さんには、私が云うのも何だか、さぞ驚かれたのでは無いだろうか。
「アンバサダーさん、明日、井上道義指揮の名古屋フィルハーモニー交響楽団の演奏会行
きませんか」
後輩I君との打ち合わせは何時も唐突なのだが無駄がない。お互い10年も付き合ってい
ると阿吽の呼吸で事が成る。これを腐れ縁というならそれでもよろしい。
「だってさ、演奏曲がショスタコオビッチの11、12交響曲ですよ。我々を呼んでいるとしか
思えません」
「然り。豈辞すこと能わん哉」
『日露友好ショスタコーヴィチ交響曲全曲演奏プロジェクト2007』と聴いて、あれ、と思っ
た皆さんも多いのではないか。そう、先日散々「気味悪い」と書き立てた演奏会のことだ。あ
の言葉は私流のパラドックスだったことを、再び其処へ足を運ぶことででお分かりになるだ
ろう。
前半は「血の日曜日」事件をモチーフにした、交響曲第11番「1905年」ト短調Op103で
ある。正直言えば、私はショスタコーヴィッチの共産思想なぞどうでもいいし、それに則して
この大曲を聴こうとも思わない。勿論、標題音楽であるからその意図は汲むべきなのだろう
が、それさえ詳細に加味せずとも、曲自体が雄弁であるから構わない。我々聴衆は黙って
耳を澄ませていれば充分という、稀有な芸術なのである。
演奏が始まって直ぐ、何かが起る、と予期した。
不気味な静謐が支配する1楽章に、総毛が弥立つ。ニ楽章に入ると、体が小刻みに震え
始め、私もI君も如何説明してよいか解らぬ涙が、止めど無く噴出している。3楽章では千
人を越えるお客が音一つ立てず只管、音楽に身を委ねている、否、呑まれているのだ。終
楽章に至った時、私はもうどうなってもいいと思った。これを聴き終わるまでは死んでも茲
を離れるものか、殺さば、殺せ。この演奏が終わって世が終わるなら、それで本望。
阿鼻叫喚のコーダが堂内に鳴り響いた。突如、数人の拍手が起ったが、鳴り止んで仕舞
った。その間の数秒が永遠に続くのではないか、と思った時、この歴史的建造物が崩れて
も可笑しくない位の大喝采が襲ったのだった。茲にいる全ての人間が感動しきっている。指
揮者の井上さんさえも明かにそういう面持ちを隠さなかった。
これが前半。もう一曲の演奏は云わずもがなであろう。
後半の第12交響曲を演奏し終えたオーケストラの面々は、舞台上で互いの健闘を称え
アマチュアの様に握手を交わしている。止まぬ大喝采に指揮者は何度となく舞台へ呼び出
され、楽団員が捌け切っても尚、カーテンコールで聴衆の興奮に答えていた。
全てが終り日比谷公会堂を出たのが21時20分、何と21時20分である。無論、アンコー
ル無しで、である。私もI君も真っ直ぐ歩けない。頭は朦朧としているし、腰もすわっていな
い。二人でよろよろしながらやっとの思いで日比谷公園を出た。
「貴君、負けたね」
「やられました」
「これこそ本物だ。音楽で癒されるなんて云う輩に……」
「アンバサダーさん、それ以上云わないで下さい。馬鹿馬鹿しい」
井上道義さん、そして名古屋フィルハーモニー交響楽団の皆さん。心底より感謝致しま
す。私は、この演奏会を「体験」できて幸せでした。幾久しく、人生の宝物にします。
これだから、音楽は止められないんだよね、そうでしょ。
追伸
今週末の9日、とうとうこのプロジェクトが完結します。最後を飾るのは第15、並びに第8
交響曲というこれまた大曲。未だ、日比谷のショスタコを体験されていない東京近在の方が
いらっしゃいましたら是非共お出かけください。
但し、「癒しの音楽」ではありませんから、御注意下さいな。
by yufuin-brothers | 2007-12-08 03:24 | 演奏会ア・ラ・カルト