感謝コンサート大成功!!
2007年 12月 07日
兄弟!
感謝コンサート、お疲れ様でした。
彼の夜、オーチャワの携帯に押しかけ、燕宴の中で一寸話しが出来た兄弟姉妹からの
反応で、昨夕の素晴らしき響きを共有出来ました。本当に有り難う。その直後、MIMIの携
帯を鳴らしたら、出てくれた
「おお、MIMI。お疲れさん。コンサートはどうだったね」
「良かったわよ。丁度、貴方にメールしようと思ってたの」
「そうかい。夜分に済まないね」
「ううん。道夫先生、本当に素敵だったのよ」
「そりゃ、そうだろうよ」
「先生ね、演奏前にこれからの曲の解説をしてくださって」
「ほほう」
「それが、事前レクチャーの時に、私が話したり、アンバサダー達が作ってくれた資料と同じ
だったから、何だか嬉しくって」
「流石、MIMIだ」
「そんなこと無いけど……」
「いや、お前の尽力に感謝するよ。本当に有り難う」
去年から始まった「感謝コンサート」に当り、そのプログラムを兄弟姉妹、また実行委員会
の皆さんが十二分に楽しんで貰う為に、私、或いは東京側がその資料を作るのが吉例となっ
ている。無論、今年もそうしたのだが、今回は一寸志向をして、ミエコさんと私でこの資料を
草しのだった。、本日はその全文を世界中の親類縁者に皆様にお目に掛け、少しでもその
雰囲気を味わって頂ければ幸いならん。
この資料作成には、ピアニストのかいやん、更にミエコ様にご尽力頂きました事、この場を
借りて御礼申し上げます。
第2回感謝コンサート事前レクチャー資料
感謝コンサートに寄せて
感謝コンサートの開催おめでとうございます。音楽祭の期間には、決して出来ないもう一つ
の素敵な演奏会。お手伝いに参加出来ず残念でなりません。参加される皆様、音楽祭の時
はいつもありがとうございます。
小林道夫先生との素敵な時間をお楽しみくださいませ。
浪花より愛を込めて
甲斐洋平
J・S・バッハ (1685~1750)
パルティータ 第1番 変ロ長調 BWV825
プレルーディウム ー アルマンド - コレンテ ー サラバンド ー メヌエット1,2ー
ジーグ
バッハは音楽史の上で最も偉大な作曲家の一人とされ、音楽の父とも言われ ています。
ヘンデルとともにバロック時代を代表する作曲家です。ゆがんだ真珠をバロ ック真珠と言
いますが、バロックとは『いびつな』と言う意味で、現在の我 々から見れば古典的で優雅に
見えるバロックの様式も、当時の人々にはそれ までのスタイルを壊すようなゆがんだもの
に映ったようです。おもしろいも のですね。
実生活の面でもバッハは偉大なお父さんで、病気で亡くなった初めの奥さ >ん、そしてその
後再婚した次の奥さんとの間に20人の子供がいたというこ とです。息子たちの何人かは父
親の才能を受け継ぎ、やはり音楽家として活 躍しました。
バッハ(BACH)とはドイツ語で『小川』の意味、言わば小川さんですが、膨 大な数の作品と
格調高い音楽、多くの音楽家を輩出する血筋などから、小川 ではなく大河ではないかと言
われることもしばしばです。
パルティータは舞曲が集まって出来ている組曲で、1曲の中に古典舞曲5~ 7曲が含まれ
ています。バッハはクラヴィーアのためのパルティータを6曲 作曲しています。そのうちの
第1曲であるこの曲は、生まれたばかりのケーテンのレオポルト 公の第1王子に贈ったもの
だそうです。ちなみにブラームスも友人に子供が 生まれた時に子守唄を作曲してお祝いに
贈っています。素敵なプレゼントで すね。
プレルーディウムはお祝いにふさわしい明るく軽やかな曲です。アルマンド は華やかな中
にも落ち着いた雰囲気、コレンテはイタリア風で輪になって楽 しげに手をつないで踊ってい
る光景が目に浮かぶかのようです。サラバンド はゆったりした3拍子のスペインの舞曲で
すが、私はなぜか宮廷の庭に放し飼いにされている孔雀を思い浮かべます。続くメヌエッ
トも3拍子の優雅な 雰囲気の曲です。Ι, 2と弾いた後、もう一度Ιへ戻って演奏します。
ジー グは速いフランス田舎風の踊り。夕立の水たまりに落ちては跳ね返ってくる 雨音の
ように聴こえます。
小林道夫先生の理性的で端正な演奏を聴く事が出来る皆さんはお幸せです。
ベートーヴェン(1770~1827)
ピアノソナタ第14番 嬰ハ短調 作品27-2 月光
第1楽章 アダージオ ソステヌート
第2楽章 アレグレット
第3楽章 プレスト アジタート
師走の声を聞くと日本全国津津浦々に『第九』が響きます。第4楽章のあの 『歓喜の歌』
の合唱を、日本中でいったい何万人の人が歌っているのでしょ う。その作曲者ベートー
ヴェンは知らない人はいないと言えるくらいに有名 です。
気むづかしい偏屈な人、ひと付き合いの悪い人のようなイメージがあります が、彼の境遇
を考えるとそれも無理からぬ事と思います。26才の頃から難聴の兆しがあった耳は年々
悪化して行きました。音楽家に とってそれはあまりにも過酷な運命です。1802年31歳
の秋、彼はウィ ーン郊外のハイリゲンシュタットで『遺書』を書きます。そして苦悩の末に
彼は創作への新たな決意を見せ、これ以降交響曲『英雄』『運命』『田園』 など名曲を生
み出して行きます。
1824年『第九』が初演された時に、聴衆の熱狂と拍手が聞こえなくて客 席に背中を向け
て立ったままのベートーヴェンを、独唱者が客席を向かせ聴 衆の喝采を見せてあげた話
は有名です。
苦しい事の多かったベートーヴェンの生涯、その中から生み出された音楽だ から人は感
動するのでしょうか。
ピアノソナタ『月光』は、1801~02年に作曲されていますので『ハイ リゲンシュタットの
遺書』の直前、ちょうど彼が耳の病で悩んでいた頃の作 ということになります。当時ベート
ーヴェンがピアノ教師をしていた伯爵令 嬢、ジュリエッタ・グイチアルディ( 1784 ~ 185
6 )に捧げられていま す。ベートーヴェンの死後『我が不滅の恋人よ』とよびかけている恋
文が発 見され、この不滅の恋人とは誰をさすのか研究の的となっていますが、ジュ リエッ
タ・グイッチアルディも『不滅の恋人』候補の一人とされています。曲はソナタと言うよりは自
由な形式で書かれた幻想曲です。ベートーヴェン 自身はこの曲を幻想曲風ソナタと呼ん
でいます。《月光》というタイトルは 彼自身がつけたものでなく、詩人のルードウィッヒ・レル
シュターブ( 1799 ~ 1860 )が第 1楽章を「スイスのルツェルン湖の月光の波にゆらぐ
小舟のよう」と形容したためと伝えられています。静かに奏でる左手が波を 思わせ、右手
のメロディーがその上に差し込む月の光のようです。
第2楽章はメヌエットともスケルツオともいうような曲で、優しく頬を撫で る風のよう。第3楽
章はプレスト(急速に)アジタート(激して)。激しい 情熱がほとばしります。
いつももの静かでいらっしゃる小林先生の、秘めたる情熱を聴けるでしょうか!
M・KOBAYASHI
クレメンティー「幻想曲と変奏曲(エール《月の光の下で》による)」Op48
Mnmo―題名の「エール」とは「Air」詰りアリア。叙情的な旋律の事、位に理解して
いればいい。演奏時間約10分。
ムツィオ クレメンティー(1752~1832)は、イタリーはローマに生まれ、イギリス
のロンドンで没したモーツアルトや、ベートーベンと略同じ世代の古典派の作曲家
です。この人は現在でもピアノ初心者が使用する練習曲集「ソナチネ」Op36や、
同じくピアノ運指の為に書かれた「グラドゥス・アド・パルナッスム」という教本を書いた
事で、現在では「ピアノの父」と云われています。
当時から、演奏家というよりも、ピアノ教師やその製作者としての方が評判が高
かったらしく(競演したモーツァルトはクレメンティーの演奏を酷評している)、又ベート
ーベンとも親交があって、楽聖のピアノ曲の一部を出版したりしています(モーツァルト
に酷評されたが、ベートーベンからは概ね好評を得ている)。彼は後年友人達とピア
ノ製作会社を興しますが、その販路開拓の一環としてヨーロッパ各地でピアノ奏法
を教え廻り、その結果高名な演奏家を多数生み出した……まぁ、そんな人だったら
しい(笑)。
然し、道夫先生も粋なことをなさいますな。ベートーベンの「月光ソナタ」の後に、
お友達の作品を、それも「月」に関連して持って来るとは。それに幻想曲という形
式でも繋がっている。幻想曲の薀蓄は、次のシューベルトに譲るとして、茲では「変
奏曲」のお話を致しましょう。
さて、「変奏曲」とは。音楽の友社版「新音楽辞典」(1995年第38刷)曰く
『ある主題を設定し、それをさまざまに変形する技法を<変奏>といい、主題といく
つかの変奏からなる曲を<変奏曲>という』(pp529)
のだそうな。簡単に云えば“連想ゲーム”みたいなものかもね。先ず、最初の人が
「八百屋」というテーマから「白菜」、次のひとが「寄せ鍋」又次が「コンロ」、「湯豆腐」、
「春菊」……で、最後にこのお題はと質問されて、うーん解った「八百屋」でしょ、とい
う塩梅式。
この曲の始め三分の一は短調の幻想曲で、それが一度終止してから長調の主題
が呈示され変奏曲が始まります。先ずはそのテーマを耳に残しておいて下さい。それが
この先五回に渡って、手に変え品に変え出て来、最後にもう一度冒頭の主題が盛大
に演奏されてお終いになります。ね、連想ゲームみたでしょ(笑)。唯聞いていても面白
く綺麗な曲なのですが、これにストーリイを付けてみると、もっと身近に感じられるかもし
れません。因みに、私が想像したそれは「月の兎達が準備運動後、もち米を研ぎつつ
お喋りをしていたら、親方兎に怒られたのでせっせとそれを蒸篭で蒸かし、わいわいと云
い乍撞き上げ、わぁい御餅が出来たぁと皆で喜んでいる」というものでした。何だか幼い
発想でゴメンネ(笑)。兎に角、解り易い内容なので、肩の力を抜いてお聴きなさいな。
先のベートーベンとは一寸変った月の音楽描写をゆっくりお楽しみあれ。
さてお次は今夜の真打、そう、恵太兄貴が大好きなシューベルト、「グラーツ幻想
曲」です。
シューベルト「グラーツ幻想曲」ハ長調(D605A)
Memo―1818年頃作曲か。日本ではこの年、我が国初の実測地図「大日本輿地全
図」を完成させた伊能忠敬が没する。演奏時間約12分
1962年にオーストリアはグラーツの音楽家、ルドルフ・フォン・ヴァイス=オストボルンの
遺品の中からこの曲は発見されました。驚くこと莫れ、何とシューベルトが没して130年
後の事です。
このルドルフさんのご先祖は、シューベルトのお友達として有名なヨゼフ・ヒュッテンブレ
ナー。この人、どうも忘れっぽい性格だった様で、あの有名なシューベルトの「未完成交
響曲」を40年間も抽斗の中に入れっぱなしにしていた人なのです。まぁ、そのおっちょこ
ちょいの賜物で、この素晴らしい遺産は散逸を免れた訳ですが……。
さて、この「グラーツ幻想曲」もこの人が残してくれた一つです。然し発見された楽譜は
シューベルトの直筆で無く、筆写されたものでした。その表紙にヒュッテンブレナーさん自
身が「この曲の自筆譜を、某ピアニストに貸したら返って来ない」と書いているのだそうで
す。忘れっぽいのでは無く、いい加減な人だったのかもね(笑)。お蔭で、この曲が本当に
シューベルトのものなのかが解らず仕舞いで、現在もその真贋が判明していません。皆さ
ん、借りた物はきちんと持ち主に返しましょう。何処で誰に迷惑が掛かるか解らない(笑)。
この様な来歴があって、この曲を「グラーツの幻想曲」と呼んでいます。処で、その“幻想
曲=fantasy”とは何ぞや。辞書的に云えば、一定の形式にとらわれず、楽想の赴く侭
に作曲された楽曲。要はその時の気分や「ノリ」で書いた曲ってな訳ですな。だから聴く側
もそう捉え自由に楽しめば充分。
では、聴き処です。
先ず、耽美としか云い様のない冒頭のメロディーを覚えておいてください。これが主題であ
り、曲の最後に戻ってくるのですが(これ循環形式と云います)、その刹那、きっと何とも云え
ない幸福感に嘆息する筈です。また、曲中に頻出する装飾音や下降音階の、宝石箱を
ひっくり返した様な綺羅びやかさは、みんなを夢心地に誘ってくれるでしょう。こうして走馬灯
の如くファンタスティックに代わる代わる出て来る表情へ、如何に道夫先生が色彩や陰影を
付け一篇の叙情詩に仕立てられるのか……いいなぁ、感謝コンサート(笑)。
先日、上野のとある資料室でこの曲を始めて聴いた私は、余りの美しさにぼうとしてしま
い、帰り際、切符を買ったお釣を取り忘れました。お金を拾うことはあっても、落としたことの
無い私がです(笑)。
この幻想曲で音楽の至福を満喫出来ること請け合いです。それが仮令、シューベルトのもの
でなくとも……。
アンバサダー
「M・KOBAYASI」とは、「ミチオ・コバヤシ」ではなく「ミエコ・コバヤシ」ですので、お間違い
無き様呵呵。オーチャワから送られて来た当日の画像をオマケに。
感謝コンサート、お疲れ様でした。
彼の夜、オーチャワの携帯に押しかけ、燕宴の中で一寸話しが出来た兄弟姉妹からの
反応で、昨夕の素晴らしき響きを共有出来ました。本当に有り難う。その直後、MIMIの携
帯を鳴らしたら、出てくれた
「おお、MIMI。お疲れさん。コンサートはどうだったね」
「良かったわよ。丁度、貴方にメールしようと思ってたの」
「そうかい。夜分に済まないね」
「ううん。道夫先生、本当に素敵だったのよ」
「そりゃ、そうだろうよ」
「先生ね、演奏前にこれからの曲の解説をしてくださって」
「ほほう」
「それが、事前レクチャーの時に、私が話したり、アンバサダー達が作ってくれた資料と同じ
だったから、何だか嬉しくって」
「流石、MIMIだ」
「そんなこと無いけど……」
「いや、お前の尽力に感謝するよ。本当に有り難う」
去年から始まった「感謝コンサート」に当り、そのプログラムを兄弟姉妹、また実行委員会
の皆さんが十二分に楽しんで貰う為に、私、或いは東京側がその資料を作るのが吉例となっ
ている。無論、今年もそうしたのだが、今回は一寸志向をして、ミエコさんと私でこの資料を
草しのだった。、本日はその全文を世界中の親類縁者に皆様にお目に掛け、少しでもその
雰囲気を味わって頂ければ幸いならん。
この資料作成には、ピアニストのかいやん、更にミエコ様にご尽力頂きました事、この場を
借りて御礼申し上げます。
第2回感謝コンサート事前レクチャー資料
感謝コンサートに寄せて
感謝コンサートの開催おめでとうございます。音楽祭の期間には、決して出来ないもう一つ
の素敵な演奏会。お手伝いに参加出来ず残念でなりません。参加される皆様、音楽祭の時
はいつもありがとうございます。
小林道夫先生との素敵な時間をお楽しみくださいませ。
浪花より愛を込めて
甲斐洋平
J・S・バッハ (1685~1750)
パルティータ 第1番 変ロ長調 BWV825
プレルーディウム ー アルマンド - コレンテ ー サラバンド ー メヌエット1,2ー
ジーグ
バッハは音楽史の上で最も偉大な作曲家の一人とされ、音楽の父とも言われ ています。
ヘンデルとともにバロック時代を代表する作曲家です。ゆがんだ真珠をバロ ック真珠と言
いますが、バロックとは『いびつな』と言う意味で、現在の我 々から見れば古典的で優雅に
見えるバロックの様式も、当時の人々にはそれ までのスタイルを壊すようなゆがんだもの
に映ったようです。おもしろいも のですね。
実生活の面でもバッハは偉大なお父さんで、病気で亡くなった初めの奥さ >ん、そしてその
後再婚した次の奥さんとの間に20人の子供がいたというこ とです。息子たちの何人かは父
親の才能を受け継ぎ、やはり音楽家として活 躍しました。
バッハ(BACH)とはドイツ語で『小川』の意味、言わば小川さんですが、膨 大な数の作品と
格調高い音楽、多くの音楽家を輩出する血筋などから、小川 ではなく大河ではないかと言
われることもしばしばです。
パルティータは舞曲が集まって出来ている組曲で、1曲の中に古典舞曲5~ 7曲が含まれ
ています。バッハはクラヴィーアのためのパルティータを6曲 作曲しています。そのうちの
第1曲であるこの曲は、生まれたばかりのケーテンのレオポルト 公の第1王子に贈ったもの
だそうです。ちなみにブラームスも友人に子供が 生まれた時に子守唄を作曲してお祝いに
贈っています。素敵なプレゼントで すね。
プレルーディウムはお祝いにふさわしい明るく軽やかな曲です。アルマンド は華やかな中
にも落ち着いた雰囲気、コレンテはイタリア風で輪になって楽 しげに手をつないで踊ってい
る光景が目に浮かぶかのようです。サラバンド はゆったりした3拍子のスペインの舞曲で
すが、私はなぜか宮廷の庭に放し飼いにされている孔雀を思い浮かべます。続くメヌエッ
トも3拍子の優雅な 雰囲気の曲です。Ι, 2と弾いた後、もう一度Ιへ戻って演奏します。
ジー グは速いフランス田舎風の踊り。夕立の水たまりに落ちては跳ね返ってくる 雨音の
ように聴こえます。
小林道夫先生の理性的で端正な演奏を聴く事が出来る皆さんはお幸せです。
ベートーヴェン(1770~1827)
ピアノソナタ第14番 嬰ハ短調 作品27-2 月光
第1楽章 アダージオ ソステヌート
第2楽章 アレグレット
第3楽章 プレスト アジタート
師走の声を聞くと日本全国津津浦々に『第九』が響きます。第4楽章のあの 『歓喜の歌』
の合唱を、日本中でいったい何万人の人が歌っているのでしょ う。その作曲者ベートー
ヴェンは知らない人はいないと言えるくらいに有名 です。
気むづかしい偏屈な人、ひと付き合いの悪い人のようなイメージがあります が、彼の境遇
を考えるとそれも無理からぬ事と思います。26才の頃から難聴の兆しがあった耳は年々
悪化して行きました。音楽家に とってそれはあまりにも過酷な運命です。1802年31歳
の秋、彼はウィ ーン郊外のハイリゲンシュタットで『遺書』を書きます。そして苦悩の末に
彼は創作への新たな決意を見せ、これ以降交響曲『英雄』『運命』『田園』 など名曲を生
み出して行きます。
1824年『第九』が初演された時に、聴衆の熱狂と拍手が聞こえなくて客 席に背中を向け
て立ったままのベートーヴェンを、独唱者が客席を向かせ聴 衆の喝采を見せてあげた話
は有名です。
苦しい事の多かったベートーヴェンの生涯、その中から生み出された音楽だ から人は感
動するのでしょうか。
ピアノソナタ『月光』は、1801~02年に作曲されていますので『ハイ リゲンシュタットの
遺書』の直前、ちょうど彼が耳の病で悩んでいた頃の作 ということになります。当時ベート
ーヴェンがピアノ教師をしていた伯爵令 嬢、ジュリエッタ・グイチアルディ( 1784 ~ 185
6 )に捧げられていま す。ベートーヴェンの死後『我が不滅の恋人よ』とよびかけている恋
文が発 見され、この不滅の恋人とは誰をさすのか研究の的となっていますが、ジュ リエッ
タ・グイッチアルディも『不滅の恋人』候補の一人とされています。曲はソナタと言うよりは自
由な形式で書かれた幻想曲です。ベートーヴェン 自身はこの曲を幻想曲風ソナタと呼ん
でいます。《月光》というタイトルは 彼自身がつけたものでなく、詩人のルードウィッヒ・レル
シュターブ( 1799 ~ 1860 )が第 1楽章を「スイスのルツェルン湖の月光の波にゆらぐ
小舟のよう」と形容したためと伝えられています。静かに奏でる左手が波を 思わせ、右手
のメロディーがその上に差し込む月の光のようです。
第2楽章はメヌエットともスケルツオともいうような曲で、優しく頬を撫で る風のよう。第3楽
章はプレスト(急速に)アジタート(激して)。激しい 情熱がほとばしります。
いつももの静かでいらっしゃる小林先生の、秘めたる情熱を聴けるでしょうか!
M・KOBAYASHI
クレメンティー「幻想曲と変奏曲(エール《月の光の下で》による)」Op48
Mnmo―題名の「エール」とは「Air」詰りアリア。叙情的な旋律の事、位に理解して
いればいい。演奏時間約10分。
ムツィオ クレメンティー(1752~1832)は、イタリーはローマに生まれ、イギリス
のロンドンで没したモーツアルトや、ベートーベンと略同じ世代の古典派の作曲家
です。この人は現在でもピアノ初心者が使用する練習曲集「ソナチネ」Op36や、
同じくピアノ運指の為に書かれた「グラドゥス・アド・パルナッスム」という教本を書いた
事で、現在では「ピアノの父」と云われています。
当時から、演奏家というよりも、ピアノ教師やその製作者としての方が評判が高
かったらしく(競演したモーツァルトはクレメンティーの演奏を酷評している)、又ベート
ーベンとも親交があって、楽聖のピアノ曲の一部を出版したりしています(モーツァルト
に酷評されたが、ベートーベンからは概ね好評を得ている)。彼は後年友人達とピア
ノ製作会社を興しますが、その販路開拓の一環としてヨーロッパ各地でピアノ奏法
を教え廻り、その結果高名な演奏家を多数生み出した……まぁ、そんな人だったら
しい(笑)。
然し、道夫先生も粋なことをなさいますな。ベートーベンの「月光ソナタ」の後に、
お友達の作品を、それも「月」に関連して持って来るとは。それに幻想曲という形
式でも繋がっている。幻想曲の薀蓄は、次のシューベルトに譲るとして、茲では「変
奏曲」のお話を致しましょう。
さて、「変奏曲」とは。音楽の友社版「新音楽辞典」(1995年第38刷)曰く
『ある主題を設定し、それをさまざまに変形する技法を<変奏>といい、主題といく
つかの変奏からなる曲を<変奏曲>という』(pp529)
のだそうな。簡単に云えば“連想ゲーム”みたいなものかもね。先ず、最初の人が
「八百屋」というテーマから「白菜」、次のひとが「寄せ鍋」又次が「コンロ」、「湯豆腐」、
「春菊」……で、最後にこのお題はと質問されて、うーん解った「八百屋」でしょ、とい
う塩梅式。
この曲の始め三分の一は短調の幻想曲で、それが一度終止してから長調の主題
が呈示され変奏曲が始まります。先ずはそのテーマを耳に残しておいて下さい。それが
この先五回に渡って、手に変え品に変え出て来、最後にもう一度冒頭の主題が盛大
に演奏されてお終いになります。ね、連想ゲームみたでしょ(笑)。唯聞いていても面白
く綺麗な曲なのですが、これにストーリイを付けてみると、もっと身近に感じられるかもし
れません。因みに、私が想像したそれは「月の兎達が準備運動後、もち米を研ぎつつ
お喋りをしていたら、親方兎に怒られたのでせっせとそれを蒸篭で蒸かし、わいわいと云
い乍撞き上げ、わぁい御餅が出来たぁと皆で喜んでいる」というものでした。何だか幼い
発想でゴメンネ(笑)。兎に角、解り易い内容なので、肩の力を抜いてお聴きなさいな。
先のベートーベンとは一寸変った月の音楽描写をゆっくりお楽しみあれ。
さてお次は今夜の真打、そう、恵太兄貴が大好きなシューベルト、「グラーツ幻想
曲」です。
シューベルト「グラーツ幻想曲」ハ長調(D605A)
Memo―1818年頃作曲か。日本ではこの年、我が国初の実測地図「大日本輿地全
図」を完成させた伊能忠敬が没する。演奏時間約12分
1962年にオーストリアはグラーツの音楽家、ルドルフ・フォン・ヴァイス=オストボルンの
遺品の中からこの曲は発見されました。驚くこと莫れ、何とシューベルトが没して130年
後の事です。
このルドルフさんのご先祖は、シューベルトのお友達として有名なヨゼフ・ヒュッテンブレ
ナー。この人、どうも忘れっぽい性格だった様で、あの有名なシューベルトの「未完成交
響曲」を40年間も抽斗の中に入れっぱなしにしていた人なのです。まぁ、そのおっちょこ
ちょいの賜物で、この素晴らしい遺産は散逸を免れた訳ですが……。
さて、この「グラーツ幻想曲」もこの人が残してくれた一つです。然し発見された楽譜は
シューベルトの直筆で無く、筆写されたものでした。その表紙にヒュッテンブレナーさん自
身が「この曲の自筆譜を、某ピアニストに貸したら返って来ない」と書いているのだそうで
す。忘れっぽいのでは無く、いい加減な人だったのかもね(笑)。お蔭で、この曲が本当に
シューベルトのものなのかが解らず仕舞いで、現在もその真贋が判明していません。皆さ
ん、借りた物はきちんと持ち主に返しましょう。何処で誰に迷惑が掛かるか解らない(笑)。
この様な来歴があって、この曲を「グラーツの幻想曲」と呼んでいます。処で、その“幻想
曲=fantasy”とは何ぞや。辞書的に云えば、一定の形式にとらわれず、楽想の赴く侭
に作曲された楽曲。要はその時の気分や「ノリ」で書いた曲ってな訳ですな。だから聴く側
もそう捉え自由に楽しめば充分。
では、聴き処です。
先ず、耽美としか云い様のない冒頭のメロディーを覚えておいてください。これが主題であ
り、曲の最後に戻ってくるのですが(これ循環形式と云います)、その刹那、きっと何とも云え
ない幸福感に嘆息する筈です。また、曲中に頻出する装飾音や下降音階の、宝石箱を
ひっくり返した様な綺羅びやかさは、みんなを夢心地に誘ってくれるでしょう。こうして走馬灯
の如くファンタスティックに代わる代わる出て来る表情へ、如何に道夫先生が色彩や陰影を
付け一篇の叙情詩に仕立てられるのか……いいなぁ、感謝コンサート(笑)。
先日、上野のとある資料室でこの曲を始めて聴いた私は、余りの美しさにぼうとしてしま
い、帰り際、切符を買ったお釣を取り忘れました。お金を拾うことはあっても、落としたことの
無い私がです(笑)。
この幻想曲で音楽の至福を満喫出来ること請け合いです。それが仮令、シューベルトのもの
でなくとも……。
アンバサダー
「M・KOBAYASI」とは、「ミチオ・コバヤシ」ではなく「ミエコ・コバヤシ」ですので、お間違い
無き様呵呵。オーチャワから送られて来た当日の画像をオマケに。
by yufuin-brothers | 2007-12-07 02:02 | ゆふいん談話室