第33ゆふいん音楽祭奮闘記―7月27日金曜日・其の参―
2007年 10月 10日
兄弟!
(承前)
今日の登場人物+その他
山崎伸子先生……名教師、齋藤秀雄最後の愛弟子。また彼のP・フルニエにも師事した
日本を代表するチェリスト。その人柄と音楽に惚れ込む人は多い。芸大准教授。
K下さん……過日のブログでも紹介した、ロックをこよなく愛する年令不詳の丈丈夫。今年
は真っ白なベンツを駆使して演奏家の送迎を担当。K太兄貴の大家さんでもある。
焼鳥みっちゃん……湯布院名物の居酒屋さん。美味い地鶏を匠に調理して得難い酒肴を
出してくれる。ご亭主もお神さんも頗る好人物。ゆふいん兄弟姉妹の堪り場。
ゆふいん音楽祭の名物、小林道夫チェンバロリサイタルが始まった。去年は会場の席
でゆったり聴けたものだったが、今年は我等スタッフの分が全く無い。大入り満員のお客
の熱気に少々汗ばむ程である。大きな拍手に迎えられ、ゆふいん音楽祭総合アドヴァイ
ザーである、小林道夫先生が舞台に立った。
先ずは一曲目のA・ポリエッティ作曲『ドイツの歌による変奏曲』の解説をし、演奏に入ら
れる。それに続き、B・マルッチェッロのソナタ12番ハ短調が演奏されたが、この様な知ら
れざる名曲を、それも世界的鍵盤奏者によって聴けるのはゆふいん音楽祭、それもこの
リサイタルでの醍醐味と云っていいだろう。
さて、三曲目には彼の齋藤秀雄最後の愛弟子である、名チェリスト山崎伸子先生を迎え
てのB・マルッチェッロ作曲、チェロと通奏低音のためのソナタ第1番ヘ長調である。
チェロとチェンバロが奏でるたった第一音だけでこの演奏が類稀なるものであることが解
った。その証左に、その1音が会場に響いた瞬間に中の空気が一変したのである。この刹
那、私は背筋が寒くなった。やられた、と思ったと同時に、この場にいることがどれ丈幸福
なことかを痛感し、音楽の神様に感謝した。これだからライブは魔物である。
山崎先生と小林先生は、非の打ち処がない演奏を遣ってのけた。然し、その立役者であ
る山崎さんは、割れる許の拍手に対し一礼したのみで颯爽と舞台を去った。その潔さに尚
一層の賞賛と尊敬を感じたのは私丈ではなかった筈である。
休憩に入り表で一服していると、K下さんも紫煙を燻らしていたので話しかけた。
「K下さん、お疲れ様です」
「どうも、アンバサダー君」
「処で、さっきの演奏お聴きになりましたか」と興奮冷め遣らぬ口調で問いかけた。すると
「いえ、ホール内にはいませんでしたが、山崎さんが弾き始めた瞬間、あの内で何かが起
ったことはガラス越しにも解りました。どうだったのです」
「そりゃもう、物凄い名演奏でしたよ」
「矢張りね」
「然し、どうしてそれが解ったのですか」
「うん。空気が動くのをみたからさ」
「ガラス越しで、ですか」
「勿論」
山崎先生の音楽も去ること乍、K下さんが有する観察眼の鋭さに心から敬服した。
後半の演目は大バッハのチェロとチェンバロのためのソナタ第3番BWV1029で再開さ
れる。特に二楽章において纏綿と歌うチェロの優雅な音色には脱帽であった。このリサイ
タルの真打は小林道夫先生独奏によるパルティータ第5番ト長調BWV829である。溌剌
とした舞曲の数々にも、道夫先生特有の深淵な洞察が加味された演奏で、聴衆に大拍手
を起こさせた。そんな中、隣にいたミエコ様に
「如何でしたか」
「私は昔、このパルティータを道夫先生のレコードで勉強したの」
「へぇ、そうだったんですか」
「だから、何だか色々なことを思いだしちゃって。感慨無量でした」
無事にリサイタルも終了した。楽器を運び出し、椅子と舞台を撤収し、元にあった処へそ
れらを戻す。その作業が終わり、やれやれと庄屋に戻った。
さて、お疲れ様の一杯を、と手を動かそうとした瞬間に携帯電話が鳴っている。
「はい、アンバサダーでありますが」
「お疲れ様、M本です。明日のことだけど」
実は明日、Fユキ君が所用の為にアートホールでの演奏が出来ないと云われていたので、
そのお父上のM本先生に尺八の演奏を御願いしていたのだ。
「先生、遣ってい頂けますか」
「はい、喜んで。でも伴奏が欲しいなぁ」
さて、困った。かいやん、明日のアートホールは、と聞くと、明日は昼夜公演だからきついな
ぁ、という返答。ううむ、ううむと腕を組んで唸っている内、名案が浮かんできた。
「ミエコ様、明日ピアノを弾きませんか」
「えっ。アンバサダーさん、いきなり何ですか」
斯斯云々なのです。御願いしたいのですが、何卒と懇請する。
「……わかりました。やりましょう」
わぁっ、と同席していたスタッフから拍手と歓声が興る。尽かさず
「ご無理申して申し訳ありません。早速、M本先生と明日の打合せをして頂けますか」
「はい……。お電話替わりました……はい、はい。少々御持ち下さい」
「アンバサダーさん、バッハの平均律第1番の譜面を準備してくださいますか」
「多分、Mクニさんに御願いすれば何とかなるでしょう」
ではその様に、とM本先生とミエコ様の打合せが済んだ。さて、早速Mクニさんに連絡をす
る。解りました、明日の朝までに用意しましょう。
目出たし、目出たしとミエコ様の健闘を祈り拝を挙げると、又もや携帯電話が着信を知ら
せる。
「おお、アンバサダー。俺だ」
「はい。あ、K兄貴ですか」
「お前、今から駅前まで出られるか。みんなで飲むのは今夜しかなさそうなんだ」
「解りました。えーと、お店は何処ですか」
「駅前の『みっちゃん』や。タクシーで茲迄御出で」
「畏まりました。追っ付け伺います」
親愛なる庄屋のみなさん。これこれこう云う訳で、一寸中座致しますが宜しゅう御座いまし
ょうか。
「お土産は美味い焼鳥と云うことで。うふふ、御待ちしていますよ」
畏まってござる、と迎えのタクシーで庄屋を後にした。
「えーと、駅前まで遣ってください」
「はい。お客さんは観光でいらしたのですか」
「いいえ、ゆふいん音楽祭の御手伝いでお邪魔しています」
「そうでしたか。では小林道夫先生の」
「そうです、そうです」
「私らは音楽のことは全く解りませんが、小林先生はこんな私らにも本当に良くして下さい
ます。御自宅から大分空港まではちょくちょくご利用下さいまして」
「左様ですか。先生は東奔西走でいらっしゃいますからね」
「そうでしょう。で、空港までお送りするとご丁寧に必ず心附を下さるんですよ。有り難い限り
で……はい、着きました」
「お幾ら」
「820円です」
千円札を手に御釣りを、と云い掛けた時、お札の漱石が道夫先生に見えた。
「じゃぁ、これで」
「えーと、180円のお返し……」
「いいえ、結構です。些少ですが」
「どうも有り難う御座います。お気を付けて」
軒並みに火を落とした駅前の商店街の中で、焼鳥みっちゃんだけは煌煌と明りが灯って
いる。こんばんわ、と暖簾を潜ると、そこには兄弟姉妹達が勢揃いしていた。
「おお、アンバサダーお疲れ。先ずは乾杯しよう」
と、K兄貴の音頭で盃を鳴らした。
「はい、K兄貴。お土産」
と、一枚のレコードを差し出した。
「何だ、何だ…………あ、わっ、わっははははは」
「如何したんですか、K太さん」
「おーちゃわ、見ろよこれ」
「え、何、何。おお、おおお、これって。わははははは」
オーチャワの手元を兄弟姉妹達が覗き込むと、間髪を入れずにどっと笑いが湧く。
「お、お前、こ、これってお前だよな。ははははは」
と、オーチャワは私とレコードを交互に見比べながら笑い続けている。そのレコードは兄弟
姉妹達の間を回覧し始め、個所個所で笑いを起こす。
その種とは、私がごく御幼少の頃に吹き込んだ演歌のレコードで、一時の座興にと今回
持参したものである。そんな騒動が持ち上がった中、興味を持った茲のご亭主迄がそれを
御覧になって
「こりゃ凄い、凄いじゃないか」
と痛く感心して「これ、貰ってもええか」と言出した。そうぞ、そんなもので宜しかった、と差し
上げたのだが、それが元で明くる日に迄笑いが持ち越されるとは思いも寄らなかった。
明日も宜しく、と好い加減な処でお開きになり、お土産のことなどすっかり忘れて庄屋に
戻った。
(つづく)
(承前)
今日の登場人物+その他
山崎伸子先生……名教師、齋藤秀雄最後の愛弟子。また彼のP・フルニエにも師事した
日本を代表するチェリスト。その人柄と音楽に惚れ込む人は多い。芸大准教授。
K下さん……過日のブログでも紹介した、ロックをこよなく愛する年令不詳の丈丈夫。今年
は真っ白なベンツを駆使して演奏家の送迎を担当。K太兄貴の大家さんでもある。
焼鳥みっちゃん……湯布院名物の居酒屋さん。美味い地鶏を匠に調理して得難い酒肴を
出してくれる。ご亭主もお神さんも頗る好人物。ゆふいん兄弟姉妹の堪り場。
ゆふいん音楽祭の名物、小林道夫チェンバロリサイタルが始まった。去年は会場の席
でゆったり聴けたものだったが、今年は我等スタッフの分が全く無い。大入り満員のお客
の熱気に少々汗ばむ程である。大きな拍手に迎えられ、ゆふいん音楽祭総合アドヴァイ
ザーである、小林道夫先生が舞台に立った。
先ずは一曲目のA・ポリエッティ作曲『ドイツの歌による変奏曲』の解説をし、演奏に入ら
れる。それに続き、B・マルッチェッロのソナタ12番ハ短調が演奏されたが、この様な知ら
れざる名曲を、それも世界的鍵盤奏者によって聴けるのはゆふいん音楽祭、それもこの
リサイタルでの醍醐味と云っていいだろう。
さて、三曲目には彼の齋藤秀雄最後の愛弟子である、名チェリスト山崎伸子先生を迎え
てのB・マルッチェッロ作曲、チェロと通奏低音のためのソナタ第1番ヘ長調である。
チェロとチェンバロが奏でるたった第一音だけでこの演奏が類稀なるものであることが解
った。その証左に、その1音が会場に響いた瞬間に中の空気が一変したのである。この刹
那、私は背筋が寒くなった。やられた、と思ったと同時に、この場にいることがどれ丈幸福
なことかを痛感し、音楽の神様に感謝した。これだからライブは魔物である。
山崎先生と小林先生は、非の打ち処がない演奏を遣ってのけた。然し、その立役者であ
る山崎さんは、割れる許の拍手に対し一礼したのみで颯爽と舞台を去った。その潔さに尚
一層の賞賛と尊敬を感じたのは私丈ではなかった筈である。
休憩に入り表で一服していると、K下さんも紫煙を燻らしていたので話しかけた。
「K下さん、お疲れ様です」
「どうも、アンバサダー君」
「処で、さっきの演奏お聴きになりましたか」と興奮冷め遣らぬ口調で問いかけた。すると
「いえ、ホール内にはいませんでしたが、山崎さんが弾き始めた瞬間、あの内で何かが起
ったことはガラス越しにも解りました。どうだったのです」
「そりゃもう、物凄い名演奏でしたよ」
「矢張りね」
「然し、どうしてそれが解ったのですか」
「うん。空気が動くのをみたからさ」
「ガラス越しで、ですか」
「勿論」
山崎先生の音楽も去ること乍、K下さんが有する観察眼の鋭さに心から敬服した。
後半の演目は大バッハのチェロとチェンバロのためのソナタ第3番BWV1029で再開さ
れる。特に二楽章において纏綿と歌うチェロの優雅な音色には脱帽であった。このリサイ
タルの真打は小林道夫先生独奏によるパルティータ第5番ト長調BWV829である。溌剌
とした舞曲の数々にも、道夫先生特有の深淵な洞察が加味された演奏で、聴衆に大拍手
を起こさせた。そんな中、隣にいたミエコ様に
「如何でしたか」
「私は昔、このパルティータを道夫先生のレコードで勉強したの」
「へぇ、そうだったんですか」
「だから、何だか色々なことを思いだしちゃって。感慨無量でした」
無事にリサイタルも終了した。楽器を運び出し、椅子と舞台を撤収し、元にあった処へそ
れらを戻す。その作業が終わり、やれやれと庄屋に戻った。
さて、お疲れ様の一杯を、と手を動かそうとした瞬間に携帯電話が鳴っている。
「はい、アンバサダーでありますが」
「お疲れ様、M本です。明日のことだけど」
実は明日、Fユキ君が所用の為にアートホールでの演奏が出来ないと云われていたので、
そのお父上のM本先生に尺八の演奏を御願いしていたのだ。
「先生、遣ってい頂けますか」
「はい、喜んで。でも伴奏が欲しいなぁ」
さて、困った。かいやん、明日のアートホールは、と聞くと、明日は昼夜公演だからきついな
ぁ、という返答。ううむ、ううむと腕を組んで唸っている内、名案が浮かんできた。
「ミエコ様、明日ピアノを弾きませんか」
「えっ。アンバサダーさん、いきなり何ですか」
斯斯云々なのです。御願いしたいのですが、何卒と懇請する。
「……わかりました。やりましょう」
わぁっ、と同席していたスタッフから拍手と歓声が興る。尽かさず
「ご無理申して申し訳ありません。早速、M本先生と明日の打合せをして頂けますか」
「はい……。お電話替わりました……はい、はい。少々御持ち下さい」
「アンバサダーさん、バッハの平均律第1番の譜面を準備してくださいますか」
「多分、Mクニさんに御願いすれば何とかなるでしょう」
ではその様に、とM本先生とミエコ様の打合せが済んだ。さて、早速Mクニさんに連絡をす
る。解りました、明日の朝までに用意しましょう。
目出たし、目出たしとミエコ様の健闘を祈り拝を挙げると、又もや携帯電話が着信を知ら
せる。
「おお、アンバサダー。俺だ」
「はい。あ、K兄貴ですか」
「お前、今から駅前まで出られるか。みんなで飲むのは今夜しかなさそうなんだ」
「解りました。えーと、お店は何処ですか」
「駅前の『みっちゃん』や。タクシーで茲迄御出で」
「畏まりました。追っ付け伺います」
親愛なる庄屋のみなさん。これこれこう云う訳で、一寸中座致しますが宜しゅう御座いまし
ょうか。
「お土産は美味い焼鳥と云うことで。うふふ、御待ちしていますよ」
畏まってござる、と迎えのタクシーで庄屋を後にした。
「えーと、駅前まで遣ってください」
「はい。お客さんは観光でいらしたのですか」
「いいえ、ゆふいん音楽祭の御手伝いでお邪魔しています」
「そうでしたか。では小林道夫先生の」
「そうです、そうです」
「私らは音楽のことは全く解りませんが、小林先生はこんな私らにも本当に良くして下さい
ます。御自宅から大分空港まではちょくちょくご利用下さいまして」
「左様ですか。先生は東奔西走でいらっしゃいますからね」
「そうでしょう。で、空港までお送りするとご丁寧に必ず心附を下さるんですよ。有り難い限り
で……はい、着きました」
「お幾ら」
「820円です」
千円札を手に御釣りを、と云い掛けた時、お札の漱石が道夫先生に見えた。
「じゃぁ、これで」
「えーと、180円のお返し……」
「いいえ、結構です。些少ですが」
「どうも有り難う御座います。お気を付けて」
軒並みに火を落とした駅前の商店街の中で、焼鳥みっちゃんだけは煌煌と明りが灯って
いる。こんばんわ、と暖簾を潜ると、そこには兄弟姉妹達が勢揃いしていた。
「おお、アンバサダーお疲れ。先ずは乾杯しよう」
と、K兄貴の音頭で盃を鳴らした。
「はい、K兄貴。お土産」
と、一枚のレコードを差し出した。
「何だ、何だ…………あ、わっ、わっははははは」
「如何したんですか、K太さん」
「おーちゃわ、見ろよこれ」
「え、何、何。おお、おおお、これって。わははははは」
オーチャワの手元を兄弟姉妹達が覗き込むと、間髪を入れずにどっと笑いが湧く。
「お、お前、こ、これってお前だよな。ははははは」
と、オーチャワは私とレコードを交互に見比べながら笑い続けている。そのレコードは兄弟
姉妹達の間を回覧し始め、個所個所で笑いを起こす。
その種とは、私がごく御幼少の頃に吹き込んだ演歌のレコードで、一時の座興にと今回
持参したものである。そんな騒動が持ち上がった中、興味を持った茲のご亭主迄がそれを
御覧になって
「こりゃ凄い、凄いじゃないか」
と痛く感心して「これ、貰ってもええか」と言出した。そうぞ、そんなもので宜しかった、と差し
上げたのだが、それが元で明くる日に迄笑いが持ち越されるとは思いも寄らなかった。
明日も宜しく、と好い加減な処でお開きになり、お土産のことなどすっかり忘れて庄屋に
戻った。
(つづく)
by yufuin-brothers | 2007-10-10 04:54 | ゆふいん音楽祭特集