下りもの、上りもの。
2007年 07月 14日
兄弟!
忙しいのと、風邪を貰ったので、随分と間が空いてしまった。ごめんなさい……。
兎に角、愚生は元気になりました。そして、明日は我等がTANと、そのサポーター
なる共同企画「オープンハウス・2007」が開催されまする。その説明は先日したので
省くが、まぁ色々な準備でてんてこ舞いだった。特に、アンバサタは、今回の新企画、
『ロビーdeクラシックサロン』のチーフにして、この企画における全統括の片割である
から、人一倍働かねば皆さんに、また、相棒のY姉貴に申し訳ない。それにどうせや
るなら、この“祭り”を人一倍楽しみたい、という自己の欲求(即ち、事後のお酒の味を
尚更美味しくしたいということ。笑)もあるんだけどね。
オープンハウスは、ホールの御祭り也。だからその気分を盛り上げ様と、アンバサ
タ、明日は浴衣を着ます。江戸の名残の紺染め浴衣に、帯は最近やっと買った米沢
織りの逸品。勿論、正絹だから締めると、きゅっつという良い音がする。それに緩まな
い。アクリルのネクタイを締めたことがある男性はお分かりかと思うが、人絹は締めた
時点で、もう駄目。お蚕様は矢張り偉い。
江戸の名残の、と書いたが、本来の浴衣は紺、即ち藍で染めたものじゃなきゃ本式
ではない。それに、目の詰まった、良質の木綿なんて、今では求めるのが難しい。旧
来、その産地とされていたのが“攝河泉”詰り攝津、河内、和泉。江戸時代、近畿地
方は日本の技術において最先端地域だった。それに、綿の栽培は土壌を極度に酷
使するらしい。因って上質の肥料がないと土地は枯れる一方。そこで“金肥”なるも
のが要り様になる。金肥とは、主に小魚を加工したもの。また、上質なタンパク質を
摂取した後の排泄物も含まれる。漁業法でも最新の技術をもっているし、京、大阪と
いった裕福な特権階級や大商人が暮らす大都会もあるのが追い風となって、江戸時
代において、綿織物は「下り物」の一端を成した。
下り物といったって、腹を壊しているのではない。今ではその用法こそ麻の如くに乱
れたが、上る、といえば、京に行くことを指し、下る、といえば未開の土地、関東に赴
くことを表した。その類から云えば、灘の酒、奈良の墨筆、京の錦という現在でも最高
級品とされているものは皆「下りもの」である。下手な駄洒落を「下らない」というが、そ
れは上る一方、詰り、碌なものじゃない、という事なのだ。
然し、江戸も中期になると、九十九里辺りで、やっと金肥の製造が確立し、また、江
戸庶民の食生活向上もあって、関東でも綿花栽培が可能になった。それでやっと将
軍様のお膝元でも、綿製品である浴衣や、手拭が安価になってきた。そこで現在ま
で続く、江戸浴衣や、染物が隆盛を見た、という訳。
何の話しだか解らなくなったが、明日は浴衣を着る。その報告は、また後日。
忙しいのと、風邪を貰ったので、随分と間が空いてしまった。ごめんなさい……。
兎に角、愚生は元気になりました。そして、明日は我等がTANと、そのサポーター
なる共同企画「オープンハウス・2007」が開催されまする。その説明は先日したので
省くが、まぁ色々な準備でてんてこ舞いだった。特に、アンバサタは、今回の新企画、
『ロビーdeクラシックサロン』のチーフにして、この企画における全統括の片割である
から、人一倍働かねば皆さんに、また、相棒のY姉貴に申し訳ない。それにどうせや
るなら、この“祭り”を人一倍楽しみたい、という自己の欲求(即ち、事後のお酒の味を
尚更美味しくしたいということ。笑)もあるんだけどね。
オープンハウスは、ホールの御祭り也。だからその気分を盛り上げ様と、アンバサ
タ、明日は浴衣を着ます。江戸の名残の紺染め浴衣に、帯は最近やっと買った米沢
織りの逸品。勿論、正絹だから締めると、きゅっつという良い音がする。それに緩まな
い。アクリルのネクタイを締めたことがある男性はお分かりかと思うが、人絹は締めた
時点で、もう駄目。お蚕様は矢張り偉い。
江戸の名残の、と書いたが、本来の浴衣は紺、即ち藍で染めたものじゃなきゃ本式
ではない。それに、目の詰まった、良質の木綿なんて、今では求めるのが難しい。旧
来、その産地とされていたのが“攝河泉”詰り攝津、河内、和泉。江戸時代、近畿地
方は日本の技術において最先端地域だった。それに、綿の栽培は土壌を極度に酷
使するらしい。因って上質の肥料がないと土地は枯れる一方。そこで“金肥”なるも
のが要り様になる。金肥とは、主に小魚を加工したもの。また、上質なタンパク質を
摂取した後の排泄物も含まれる。漁業法でも最新の技術をもっているし、京、大阪と
いった裕福な特権階級や大商人が暮らす大都会もあるのが追い風となって、江戸時
代において、綿織物は「下り物」の一端を成した。
下り物といったって、腹を壊しているのではない。今ではその用法こそ麻の如くに乱
れたが、上る、といえば、京に行くことを指し、下る、といえば未開の土地、関東に赴
くことを表した。その類から云えば、灘の酒、奈良の墨筆、京の錦という現在でも最高
級品とされているものは皆「下りもの」である。下手な駄洒落を「下らない」というが、そ
れは上る一方、詰り、碌なものじゃない、という事なのだ。
然し、江戸も中期になると、九十九里辺りで、やっと金肥の製造が確立し、また、江
戸庶民の食生活向上もあって、関東でも綿花栽培が可能になった。それでやっと将
軍様のお膝元でも、綿製品である浴衣や、手拭が安価になってきた。そこで現在ま
で続く、江戸浴衣や、染物が隆盛を見た、という訳。
何の話しだか解らなくなったが、明日は浴衣を着る。その報告は、また後日。
by yufuin-brothers | 2007-07-14 01:21 | アンバサダー随感録