実録・甲斐洋平奮闘記〔終章〕―決戦―
2008年 05月 13日
兄妹!
或る高名な噺家はいざ高座へと云う砌、おい、一寸背中を押してお呉れ、と必ず前座に声を掛ける。これは屹度何かの呪いなのかと思い「師匠、何故何時も背中を押させるのですか」と尋ねてみた。
「あれかい。俺はね、ああして貰わないと怖くて舞台へ上がれないんだよ……いやいや、幾ら年期を積んだって怖いものは怖ぇ。でもな、もしそう感じなくなったら、おらぁ芸人として遣って行けなくなっちまうかもな。ははは」
本番一時間前、指を血で染めた甲斐やんをピアノの前より何とか遠退かせ、楽屋に押し込むのも一苦労だった。まぁ一服しなよ、と出した煎茶を一啜りし傍らのスコアを開き何かぶつぶつ云い乍音譜を追っていたかと思えば、楽屋の中を蹌蹌踉踉として飛んだり跳ねたり、踊ったり歌ったりして全く落ち着かない。挙げ句の果てには
「な、アンバサダーやん。僕、もうどっか行ってもええかな」
「演奏会が終わってからな」
「ここでぇ一緒にぃ……みちのくぅ独りぃ旅ぃ」
「陸奥でも北海道でも、演奏会が終わったら何処でも一人でお行き」
「じゃぁ箱根ならええやろ。青いロマンスカーに乗って箱根に行かへん」
「舞台が終わってからね」
「星屑のすてぇーえじぃー……くらい、くらい、くらぁーい、帰りたいぃぃ」
「今夜を終えてからお帰り……洋ちゃん、兎に角一寸落ち着きなさいよ。はい、深呼吸して……」
では開場します、と係の人が知らせて来る。
さあ、洋ちゃん。いよいよ2時間一本勝負だ、いいね。と覚悟を促して身支度を整えさせた。
おっと、後10分で開演だ……これ、お守りな、と私が大切にしているエーデルヴァイスのブロオチを甲斐やんの襟に挿し、今や決戦に赴こうとするピアニストの背中を万感の思いを込め、ぱんぱんと敲く。胸に添えられた一輪の花に触れつつ、甲斐やんは今作れる精一杯の笑顔を私に向けて大きく頷き、楽屋を後にしたのだった。
満員御礼の客席から万雷の拍手に迎えられ、甲斐洋平はピアノの前で一礼する。椅子に腰を下ろし、譜面台を直し乍、自らの心中と聴衆とに静寂が戻るのを待った。
暫しの沈黙の後、甲斐やんの指は悲愴奏鳴曲を描き始める。緊張の極に達した第一楽章であったが、第2楽章の嘆美な旋律で落着きを取り戻し、アタッカで始まった次の月光奏鳴曲では聴衆へ静かな感動を齎しつつ、前半のプログラムを終え、休憩に入った。
演奏者が楽屋で充分な休憩を取れる様、入口で闖入者を防ぐのも重要なマネージャーの役である。
「どうだい洋ちゃん、そろそろ出番だぜ」
と頃合いを見計らって這入った楽屋の中で、甲斐やんは一点を見つめたまま呆然としていた。
「あ、アンバサダーやん……。前半はあれで良かったんかなぁ」
「ああ、よかったよ」
「うううん、でもなぁ……でも、でも……もうあかんわ」
「何をぐずぐず云ってやがるんだい。おう、洋の字。今夜はお前さんのリサイタルなんだぞ。お客さんは皆、甲斐洋平しか出来ない音楽を楽しみに来て下さってるんじゃねぇか。だからお前さんがそんな風じゃお客さんに申し訳ねえだろ」
「せやね、先ず自分が愉しまなきゃあかんね」
「そう、その意気だ。それにお前にはな、ゆふいんの兄妹、親類縁者という強い味方が控えてるんだ。ここをゆふいんのアートホールだと思って、心置きなく甲斐洋平の音楽を演って来ねぇ。ささ、行った行った」
テンペスト奏鳴曲の冒頭がそっと忍び寄って来る。ぐっとテンポを落とし、一音一音に魂を宿して行くが如く丹念に、又生まれては消える響きを愛おしむかの様な優しい音楽が聴衆の心を捉えて行く……これぞ甲斐洋平の真骨頂。アンコールになると、奏者が大好きだ、と云う楽聖の《小さな奏鳴曲》や、管楽アンサンブルのピアノ編曲版等を短いスピーチを挟んで重ね、最後に《エリーゼの為に》を演り、お客さん達の充足感を更に高めていた。
予定されていた全ての曲を終え、甲斐やんが舞台から降りて来た。やぁ、お疲れさん
と握手をしようと手を差し伸べると
「ん、もう一回行ってくるわ」
と言い残し、颯爽とお客の前に戻って行く。あれあれと不思議がる裏方も去り乍、帰り支度を始めていた聴衆も、止まりかかった拍手を強めた。その中で再度お辞儀をした甲斐やんが徐に喋り始める。
『本日は本当に有り難う御座いました。大阪に住んでいる私が、何故この町田で演奏会をさせて頂けたか、と云う事を少しお話させて下さい。
今夜のプログラムの中にもそのチラシが挟まっていますが、大分県の湯布院で毎年夏に催されます「ゆふいん音楽祭」という素晴らしい音楽祭があります。僕はその音楽祭に過去五回程スタッフとしてお手伝いをさせて貰っています。そこでは全国から集まったボランティアの皆さんが地元のスタッフと一丸となって音楽祭を盛り上げているのです。その交わりの中で、毎回このコンサートを開く為にご尽力なさっている小林美恵子さんとお知り合いになり、本日、この素晴らしい会場で演奏させて貰えることになったのです。先ずはこの場を借りまして小林さんに心からの感謝を申し上げます。
そして、今日の為に色々と協力して呉れたり、わざわざ湯布院から駆け付けて呉れた、今ではお互い兄妹姉妹と呼び合う仲になれた湯布院の音楽祭若手スタッフや、音楽祭東京事務局のみなさん、又、プログラムを書いて下さった青澤隆明先生、今夜の写真や録音を引き受けて下さった渡辺和先生……本当に有り難う御座いました。
これからもう一曲、そんな素晴らしい人々との出会いや、湯布院の美しい風景に刺激を受け、僕が作曲した《ゆふいんの風》という曲を弾かせて下さい。この演奏を本日聴いて下さった皆さんや、このホールのスタッフの方々、あるいは小林さんや、ゆふいんの兄妹姉妹達みなさんへ、ささやかですが僕の感謝の気持ちを込めて捧げたいと思います。では聴いて下さい』
甲斐やんが《ゆふいんの風》を弾き始める頃には、私はもう周囲を憚る事無く大粒の涙を流していた。
―洋平の野郎が、洋平の野郎が―
と声を殺しながら思いっきり泣いた。演奏が終わり、袖に戻った甲斐やんに思いっきり、しがみつき、抱き合い、更に泣いた。
「洋ちゃん、よかったね、よかったね」
と、繰り返しながら。
(終わり)
或る高名な噺家はいざ高座へと云う砌、おい、一寸背中を押してお呉れ、と必ず前座に声を掛ける。これは屹度何かの呪いなのかと思い「師匠、何故何時も背中を押させるのですか」と尋ねてみた。
「あれかい。俺はね、ああして貰わないと怖くて舞台へ上がれないんだよ……いやいや、幾ら年期を積んだって怖いものは怖ぇ。でもな、もしそう感じなくなったら、おらぁ芸人として遣って行けなくなっちまうかもな。ははは」
本番一時間前、指を血で染めた甲斐やんをピアノの前より何とか遠退かせ、楽屋に押し込むのも一苦労だった。まぁ一服しなよ、と出した煎茶を一啜りし傍らのスコアを開き何かぶつぶつ云い乍音譜を追っていたかと思えば、楽屋の中を蹌蹌踉踉として飛んだり跳ねたり、踊ったり歌ったりして全く落ち着かない。挙げ句の果てには
「な、アンバサダーやん。僕、もうどっか行ってもええかな」
「演奏会が終わってからな」
「ここでぇ一緒にぃ……みちのくぅ独りぃ旅ぃ」
「陸奥でも北海道でも、演奏会が終わったら何処でも一人でお行き」
「じゃぁ箱根ならええやろ。青いロマンスカーに乗って箱根に行かへん」
「舞台が終わってからね」
「星屑のすてぇーえじぃー……くらい、くらい、くらぁーい、帰りたいぃぃ」
「今夜を終えてからお帰り……洋ちゃん、兎に角一寸落ち着きなさいよ。はい、深呼吸して……」
では開場します、と係の人が知らせて来る。
さあ、洋ちゃん。いよいよ2時間一本勝負だ、いいね。と覚悟を促して身支度を整えさせた。
おっと、後10分で開演だ……これ、お守りな、と私が大切にしているエーデルヴァイスのブロオチを甲斐やんの襟に挿し、今や決戦に赴こうとするピアニストの背中を万感の思いを込め、ぱんぱんと敲く。胸に添えられた一輪の花に触れつつ、甲斐やんは今作れる精一杯の笑顔を私に向けて大きく頷き、楽屋を後にしたのだった。
満員御礼の客席から万雷の拍手に迎えられ、甲斐洋平はピアノの前で一礼する。椅子に腰を下ろし、譜面台を直し乍、自らの心中と聴衆とに静寂が戻るのを待った。
暫しの沈黙の後、甲斐やんの指は悲愴奏鳴曲を描き始める。緊張の極に達した第一楽章であったが、第2楽章の嘆美な旋律で落着きを取り戻し、アタッカで始まった次の月光奏鳴曲では聴衆へ静かな感動を齎しつつ、前半のプログラムを終え、休憩に入った。
演奏者が楽屋で充分な休憩を取れる様、入口で闖入者を防ぐのも重要なマネージャーの役である。
「どうだい洋ちゃん、そろそろ出番だぜ」
と頃合いを見計らって這入った楽屋の中で、甲斐やんは一点を見つめたまま呆然としていた。
「あ、アンバサダーやん……。前半はあれで良かったんかなぁ」
「ああ、よかったよ」
「うううん、でもなぁ……でも、でも……もうあかんわ」
「何をぐずぐず云ってやがるんだい。おう、洋の字。今夜はお前さんのリサイタルなんだぞ。お客さんは皆、甲斐洋平しか出来ない音楽を楽しみに来て下さってるんじゃねぇか。だからお前さんがそんな風じゃお客さんに申し訳ねえだろ」
「せやね、先ず自分が愉しまなきゃあかんね」
「そう、その意気だ。それにお前にはな、ゆふいんの兄妹、親類縁者という強い味方が控えてるんだ。ここをゆふいんのアートホールだと思って、心置きなく甲斐洋平の音楽を演って来ねぇ。ささ、行った行った」
テンペスト奏鳴曲の冒頭がそっと忍び寄って来る。ぐっとテンポを落とし、一音一音に魂を宿して行くが如く丹念に、又生まれては消える響きを愛おしむかの様な優しい音楽が聴衆の心を捉えて行く……これぞ甲斐洋平の真骨頂。アンコールになると、奏者が大好きだ、と云う楽聖の《小さな奏鳴曲》や、管楽アンサンブルのピアノ編曲版等を短いスピーチを挟んで重ね、最後に《エリーゼの為に》を演り、お客さん達の充足感を更に高めていた。
予定されていた全ての曲を終え、甲斐やんが舞台から降りて来た。やぁ、お疲れさん
と握手をしようと手を差し伸べると
「ん、もう一回行ってくるわ」
と言い残し、颯爽とお客の前に戻って行く。あれあれと不思議がる裏方も去り乍、帰り支度を始めていた聴衆も、止まりかかった拍手を強めた。その中で再度お辞儀をした甲斐やんが徐に喋り始める。
『本日は本当に有り難う御座いました。大阪に住んでいる私が、何故この町田で演奏会をさせて頂けたか、と云う事を少しお話させて下さい。
今夜のプログラムの中にもそのチラシが挟まっていますが、大分県の湯布院で毎年夏に催されます「ゆふいん音楽祭」という素晴らしい音楽祭があります。僕はその音楽祭に過去五回程スタッフとしてお手伝いをさせて貰っています。そこでは全国から集まったボランティアの皆さんが地元のスタッフと一丸となって音楽祭を盛り上げているのです。その交わりの中で、毎回このコンサートを開く為にご尽力なさっている小林美恵子さんとお知り合いになり、本日、この素晴らしい会場で演奏させて貰えることになったのです。先ずはこの場を借りまして小林さんに心からの感謝を申し上げます。
そして、今日の為に色々と協力して呉れたり、わざわざ湯布院から駆け付けて呉れた、今ではお互い兄妹姉妹と呼び合う仲になれた湯布院の音楽祭若手スタッフや、音楽祭東京事務局のみなさん、又、プログラムを書いて下さった青澤隆明先生、今夜の写真や録音を引き受けて下さった渡辺和先生……本当に有り難う御座いました。
これからもう一曲、そんな素晴らしい人々との出会いや、湯布院の美しい風景に刺激を受け、僕が作曲した《ゆふいんの風》という曲を弾かせて下さい。この演奏を本日聴いて下さった皆さんや、このホールのスタッフの方々、あるいは小林さんや、ゆふいんの兄妹姉妹達みなさんへ、ささやかですが僕の感謝の気持ちを込めて捧げたいと思います。では聴いて下さい』
甲斐やんが《ゆふいんの風》を弾き始める頃には、私はもう周囲を憚る事無く大粒の涙を流していた。
―洋平の野郎が、洋平の野郎が―
と声を殺しながら思いっきり泣いた。演奏が終わり、袖に戻った甲斐やんに思いっきり、しがみつき、抱き合い、更に泣いた。
「洋ちゃん、よかったね、よかったね」
と、繰り返しながら。
(終わり)
by yufuin-brothers | 2008-05-13 17:44 | 演奏会ア・ラ・カルト