「そりゃ、痛いでしょうね」―外科騒動記―
2009年 06月 29日
兄弟!
さて、夕食でもと、人参を刻み初めその時
「あ、あああああ」
勢い余って……玉も砕ける氷の刃、さぁお立ち会い、なんて『蝦蟇の油』の口上じゃないけれど、普段から手入れが良い包丁だけに、左手の中指、それも先端の皮を綺麗に削ぎ落とし、桃色の肉が顕わになっている。あれま、やっちゃった。まぁ、放っておけばその内に、なんて悠長にしていたが、湧き出てくる鮮血の量がどうも只事ではない。こりゃいけねえな、とタオルを巻いて傷口を頭上にしてみたら、真っ赤なものが腕を伝ってぽたり、ぽたり。おお、俺はやっぱり生きている、なんて数年振りに実感していると、両親が近所の飲み屋から帰ってきた。へえ、派手に遣ったなこりゃ、と父親が興味本位、血で染まったタオルを眺めているその傍らで、母親が慌て乍
「兎に角、救急病院にいきなさい」
「いいよ、そんな大仰な」
「今の時期、化膿しやすいんだから」
「車に跳ねられて、それこそ体中真っ赤になって運ばれて来る患者に比べれば、こんなの蚊に刺され位だぁな。お医者を煩わせせちゃ悪いよ」
「いいから行きなさい、連れて行ってあげるから」
なんでぇ、見っともねえよ、とぶつぶつ云いながら、病院の救急外来へ。
「あの、お取り込みの最中、失礼しますが、こんな事になっちまいまして」
「あは……先ずは先生に診てもらいましょう…あ、今夜の当直は内科の先生ですね…大丈夫かな」
大した事はない、と乗り込んだ病院で「大丈夫かな」などと聞いたものだから、何だか心細くなって来た。
名前を呼ばれ這入った診療室には、どう見てもお医者に成り立て、と云う風な若い先生が待ち構えている。
「はい、どうしました。ありゃりゃ…こりゃ血管が切れてるかな。さて、どうしたら……ねぇ、何時もどうしてますか」
と、側にいた、随分と甲羅を経たらしい看護婦に尋ねると
「……あ、縫いましょう。先生、遣れますか」
「まあね……」
「さてと…あ、アンバサダーさん、縫いましょうか。で、麻酔ですけど」
先生、本当に大丈夫なんでしょうね。心配ない、運転免許は持ってるから。なんて根多があったが、それを地で行く様な会話に、一層腰が引けてきた。
「ご迷惑でなければ是非ともお願い致したく」
「ははは、迷惑だなんて。で、看護婦さん、どうしたら良いですか……そうですか、じゃ、始めますよ」
研究室での実習かと間違う様な施術だったが、どうやら無事に終えて呉れたらしい。血もようやっと止まって、包帯でぐるぐる巻かれた指をしげしげと見ていたら
「あの、アンバサダーさん、今夜のお酒は駄目、煙草も控えたほうがいいですよ。で、これは、痛み止めと化膿止めのお薬です。また月曜日に傷を見せに来て下さいね。はい、お大事に…これで良いんですよね、看護婦さん…」
「……どうもお騒がせしました」
「どう致しまして。……ああ看護婦さん、それ僕が片付けますよ」
薬を貰い、会計を済ませて外に出た。ほっとした時の一服は流石に美味い。
本日、命じられた通り、外科へ行ってみると、小泉元首相に似た担当医が、どれどれ、と云いながら包帯を取り、傷口に張り付いたガーゼを無理に引き剥がそうとする。
「先生、痛いんです」
「そりゃ、痛いでしょうね」
何ともぶっきらぼうに対応しつつ、えい、と許、茶色に変色のを取り除けてみると、案の定、傷口から血が滲み始めた。
「先生、血が出てますけど」
「指先だもの、そりゃ出ますよね」
「やっぱし、血管が切れていますか」
「うん、肉まで切れてますからね」
「そうすか。で、どれ位で治りますか」
「皮が蘇生しないことには…2週間ぐらいですかね」
「薬やなんぞは」
「もういいでしょう。ここじゃ薬は効きませんよね」
「お酒も、2週間…」
「止めておいた方がいいですね」
「でも、明後日、飲まなきゃいけないんですが」
「飲んだら、血が出ますね」
「どうすりゃいいんですか」
「飲まない事ですね」
「でも、血が出る位の事……若し出たらどうしたらいいんでしょう」
「押さえる事ですね」
「そんなに出ますか」
「出るかもしれませんね」
「包帯が真っ赤に染まりますか」
「染まりますね」
何と冷たい言い草だろうか、医は仁術なり、と謂う言葉を知らんのか、と思っていたら
「でもねえ、私だったら飲んじゃいますけどね」
「ええ、何ですか」
「だってね、飲まなきゃいけないんだったら飲むしかないですよね」
「は、はあ」
「一応、脅かしておかないと。これも治療の一つ、ですよね.ははははは」
医者と患者が大笑いになり、驚いた看護婦が数人集まって来た。
指先を消毒し、軟膏を付け、真新しい包帯でぐるぐる巻ながら
「飲み過ぎない様に、少し大袈裟にしておきましょうね。はい、お大事に」
先生、そんなに飲み過ぎやしませんて。指切りげんまん…おっと、もう切れてるんだっけ、ね。
さて、夕食でもと、人参を刻み初めその時
「あ、あああああ」
勢い余って……玉も砕ける氷の刃、さぁお立ち会い、なんて『蝦蟇の油』の口上じゃないけれど、普段から手入れが良い包丁だけに、左手の中指、それも先端の皮を綺麗に削ぎ落とし、桃色の肉が顕わになっている。あれま、やっちゃった。まぁ、放っておけばその内に、なんて悠長にしていたが、湧き出てくる鮮血の量がどうも只事ではない。こりゃいけねえな、とタオルを巻いて傷口を頭上にしてみたら、真っ赤なものが腕を伝ってぽたり、ぽたり。おお、俺はやっぱり生きている、なんて数年振りに実感していると、両親が近所の飲み屋から帰ってきた。へえ、派手に遣ったなこりゃ、と父親が興味本位、血で染まったタオルを眺めているその傍らで、母親が慌て乍
「兎に角、救急病院にいきなさい」
「いいよ、そんな大仰な」
「今の時期、化膿しやすいんだから」
「車に跳ねられて、それこそ体中真っ赤になって運ばれて来る患者に比べれば、こんなの蚊に刺され位だぁな。お医者を煩わせせちゃ悪いよ」
「いいから行きなさい、連れて行ってあげるから」
なんでぇ、見っともねえよ、とぶつぶつ云いながら、病院の救急外来へ。
「あの、お取り込みの最中、失礼しますが、こんな事になっちまいまして」
「あは……先ずは先生に診てもらいましょう…あ、今夜の当直は内科の先生ですね…大丈夫かな」
大した事はない、と乗り込んだ病院で「大丈夫かな」などと聞いたものだから、何だか心細くなって来た。
名前を呼ばれ這入った診療室には、どう見てもお医者に成り立て、と云う風な若い先生が待ち構えている。
「はい、どうしました。ありゃりゃ…こりゃ血管が切れてるかな。さて、どうしたら……ねぇ、何時もどうしてますか」
と、側にいた、随分と甲羅を経たらしい看護婦に尋ねると
「……あ、縫いましょう。先生、遣れますか」
「まあね……」
「さてと…あ、アンバサダーさん、縫いましょうか。で、麻酔ですけど」
先生、本当に大丈夫なんでしょうね。心配ない、運転免許は持ってるから。なんて根多があったが、それを地で行く様な会話に、一層腰が引けてきた。
「ご迷惑でなければ是非ともお願い致したく」
「ははは、迷惑だなんて。で、看護婦さん、どうしたら良いですか……そうですか、じゃ、始めますよ」
研究室での実習かと間違う様な施術だったが、どうやら無事に終えて呉れたらしい。血もようやっと止まって、包帯でぐるぐる巻かれた指をしげしげと見ていたら
「あの、アンバサダーさん、今夜のお酒は駄目、煙草も控えたほうがいいですよ。で、これは、痛み止めと化膿止めのお薬です。また月曜日に傷を見せに来て下さいね。はい、お大事に…これで良いんですよね、看護婦さん…」
「……どうもお騒がせしました」
「どう致しまして。……ああ看護婦さん、それ僕が片付けますよ」
薬を貰い、会計を済ませて外に出た。ほっとした時の一服は流石に美味い。
本日、命じられた通り、外科へ行ってみると、小泉元首相に似た担当医が、どれどれ、と云いながら包帯を取り、傷口に張り付いたガーゼを無理に引き剥がそうとする。
「先生、痛いんです」
「そりゃ、痛いでしょうね」
何ともぶっきらぼうに対応しつつ、えい、と許、茶色に変色のを取り除けてみると、案の定、傷口から血が滲み始めた。
「先生、血が出てますけど」
「指先だもの、そりゃ出ますよね」
「やっぱし、血管が切れていますか」
「うん、肉まで切れてますからね」
「そうすか。で、どれ位で治りますか」
「皮が蘇生しないことには…2週間ぐらいですかね」
「薬やなんぞは」
「もういいでしょう。ここじゃ薬は効きませんよね」
「お酒も、2週間…」
「止めておいた方がいいですね」
「でも、明後日、飲まなきゃいけないんですが」
「飲んだら、血が出ますね」
「どうすりゃいいんですか」
「飲まない事ですね」
「でも、血が出る位の事……若し出たらどうしたらいいんでしょう」
「押さえる事ですね」
「そんなに出ますか」
「出るかもしれませんね」
「包帯が真っ赤に染まりますか」
「染まりますね」
何と冷たい言い草だろうか、医は仁術なり、と謂う言葉を知らんのか、と思っていたら
「でもねえ、私だったら飲んじゃいますけどね」
「ええ、何ですか」
「だってね、飲まなきゃいけないんだったら飲むしかないですよね」
「は、はあ」
「一応、脅かしておかないと。これも治療の一つ、ですよね.ははははは」
医者と患者が大笑いになり、驚いた看護婦が数人集まって来た。
指先を消毒し、軟膏を付け、真新しい包帯でぐるぐる巻ながら
「飲み過ぎない様に、少し大袈裟にしておきましょうね。はい、お大事に」
先生、そんなに飲み過ぎやしませんて。指切りげんまん…おっと、もう切れてるんだっけ、ね。
by yufuin-brothers | 2009-06-29 20:47 | 燕燕訓